津次郎

映画の感想+ブログ

数限りないドラマのネタ元 狩人の夜 (1955年製作の映画)

狩人の夜 [DVD]

5.0
かつて著名文化人たちが映画ベスト自選をすると、かならず筆頭にあがるのが市民ケーンだった。天井桟敷の人々やジャンルノアールなど仏古典映画がそれに続いた。まぼろしの市街戦も文化人御用達の人気作だった。いまはどうなるのだろう。多様になって、昔みたいな統一感はなくなると思う。

文化人の選評には気取りが入る──と思う。完全主観では選ばない。気位の高い文化人は「え!こんなの好きなの?」と思われてしまわないために、大なり小なり客観性を差し挟むわけだ。それゆえ、市民ケーンに罪はないが、昔は誰でも市民ケーンだった。

この映画も文化人の選でときどき挙がった。選に順位をつけるなら、私だったらこれを市民ケーンよりも上に挙げたい。

昔初めて見たとき、高校時代読んだマークトウェインのハドリバーグの町を腐敗させた男を彷彿とさせた。因果応報のドラマで、民族や習慣を超える普遍性がある。
また、その後に見た数々の映画がこの映画を彷彿とさせた。
時代を超え、黒澤明に比肩する影響力があると思う。

監督はチャールズロートン。
私は古い映画で、繁くこの俳優を見た。
肥満体型で腹黒そうな顔つき。
狭量な代官みたいな役が多かったが、のち善玉を演るようになった。スパルタカスや情婦をよく憶えている。出演作多数で、こっちで言えば殿山泰司みたいな印象的なバイプレーヤーだった。

驚いたことに監督作はこの一作のみ。もっと驚いたことに当時、興行も批評もぜんぜんだめだったらしい。オーソンウェルズのTouch of Evil(1958)みたいな感じだろうか。世の中には、時間の経過、または慧眼によってしか見いだされないホンモノがある──と思う。

この映画でもっとも象徴的なのは、えせ伝道者ロバートミッチャムの手。
親指を除く、示中薬小、4本の拳に書かれた文字。
左がHATE、右がLOVE。
後にパンク系ファッションで定番化したタトゥはここが出典である。
今では一般的なサイコキラーが跋扈するクライムドラマもこの映画が創始である。
ロバート『スリーピーアイ』ミッチャムの飄々とした殺人鬼は映画の古さをまったく感じない──これにはいささかの誇張もない。

マイケルケインのアルフィーに出ていたシェリーウィンタースをよく憶えている。よく見た女優だが、たいていどこで見ても肥えていて、春川ますみあるいは高瀬春奈のようなキャラクター。この映画では生真面目な未亡人役で、のちのバンプな路線を想像できない。

リリアンギッシュに始まるこの映画はリリアンギッシュで終わる。
暴力と無知から子供たちを救う里親役で、賢く、慈愛に満ち、勇敢。
1916年(!)のイントレランスに出演した世紀の女優の有終を飾った。

美しい撮影とドラマツルギーのお手本。
魅力は底なし、つねに新しい発見がある必携の映画だと思います。