津次郎

映画の感想+ブログ

サムラウリーとレクター博士 2人のローマ教皇 (2019年製作の映画)

 2人のローマ教皇


4.5
キリスト教徒のすくない日本では法王にたいして、えらい人という以上の主体的な感想はない──と思う。ましてスポットライトを見ていれば聖職にいい印象を持っていない。わたしもそれである。
ぜんぜん知らない世界ではある。ぜんぜん知らない世界なのに、聖職者による性的虐待は、むしょうに腹の立つことだ。それは、おもてむきでは説教をたれる人が、抵抗のできない子供の性をもてあそぶことの卑劣さを思うからだろう。
聖職者と信者とその子供は、泣き寝入りや箝口に至りやすい位相構造を持っている。そもそもキリスト教が歴史からして死屍累々の宗教なのもあって、あくまで雑感ながら、いい印象はない。

これは学校と教師に対する庶民感情にも似ている。
わたしはかつてよく殴られたので教師にいい印象はなかった。ただ年を食って、同級や知友として教師を持ってみると、ほんとに彼らは苦労されている。まともな教師と話すほどに、世間の論調がうそのようだ。とうぜん今となっては、教師を教師だというだけで貶す気にはなれない。

すなわち世論によって、あるいは一部の不埒によって、もっとも迷惑を被ってしまうのは、まじめな聖職者たちだろう。もし聖職者を知っていたら、かれらの苦労を共有できると思う。
ただこれは非キリスト教の雑駁な感慨であって、信者やヨーロッパ諸国人の感じ方とは異なるであろうし、もとよりぜんぜん知らない世界ではある。

この映画の敷居が高いのは、非キリスト教であることに加えて、法王とはいえ、ひとかわ剥けばご老人の話だからでもある。よくこれを配信したなと思う。
Netflixに関する余談ながら、──わたしが設定をよく解ってないからかもしれないが──、おすすめでも新着でもない奥深くに、とんでもない良作が隠れている。これもそんな映画だった。

とはいえわたしとて見たのはふたりの法王がレクター博士とサムラウリーだったからだ。とりわけジョナサンプライスはわたしにとって未来世紀ブラジルの人で35年経てもまだそれが抜けない。

役者に演じさせているにもかかわらず、映画はドキュメンタリーの構造をしている。人物の撮り方も、エイジングを施した挿入シーンも、感情/感傷を出さない演技も、滞りなく見られるが、裏に相当な特殊技術を感じた。巷間の人々も、バチカン広場を埋め尽くす観衆も、完全にシームレスに映画と融合している。
懺悔として教区内の性的虐待を看過したという件があった。そこで倫理的に解釈が別れるかもしれないが、映画そのものはすごく良かった。