津次郎

映画の感想+ブログ

日本には辛辣だが北には優しい プロミス ~氷上の女神たち~ (2016年製作の映画)

3.3
韓国映画に日本/日本人が出てくるばあい、かならず卑劣に描かれる。
この映画では、対日本戦で日本人選手がスティックで引っかけて韓国人選手を転ばす。会場はアウェーの青森。
解説者が大荒れ。ヤイ、ケセッキァ!
真っ赤になって怒る解説者を墨舌チョジヌンがやっていた。

中国でも韓国でも──日本人てのは卑怯な奴らなんだよと、描写するのが通例で、近年見たのでは軍艦島がえぐい。チャンイーモウの金陵十三釵はもっと扇情的で新浪微博で炎上騒ぎがあった。

スキー選手の活躍を描いた映画「国家代表」のアイスホッケー編という位置づけで「国家代表2」の原題がある。お笑い出身のキムスルギ、韓ドラヒロイン、オヨンソやパクソダムも出ている。パクソダムはしばしばキムゴウンや剛力彩芽と比較されるひとえだが、北朝鮮の選手役で、完全すっぴんだった。
ちなみに北朝鮮の描き方は一貫して迎合で、悪玉にも敵にもしない。こてこてな感動へもっていくが巧い映画だった。

映画がクオリティを備えているとき、国策描写が暴れずに収まることがある。軍艦島なんか滅茶苦茶だが、巧いので見る。見ると、影響を受ける。若ければ日本を憎み、卑下するんじゃなかろうか。自分の史観を顧みても、たいていメディアから受動している。

しかし、エンターテインメントたる映画を鵜呑みにするようでは人間おしまいだし、史観とは、月日や知識とともに変遷するものでもある。

ただ、雑ぱくな風説を形成するのに、巧い映画は凄まじく有効に立ち回る。
とりわけ、何も知らない世界、たとえばスポットライトを見れば、聖職者ってのは、信用ならない連中だと思うだろう。コンテイジョンを見れば、新型コロナもあんな感じで拡がる──と思うだろう。

その雑ぱくな印象が、けっこうわたしたちの考え方を形作ってしまう場合がある。映画に扇情描写が使われるのはその理由がある。

しかし、ほんとにそうだろうか。
もし、スポットライトの影響下にあるわたしが、現実世界で聖職者と相まみえるなら、むしろスポットライトを忘れ、ニュートラルであろうと努めるだろう。米映画とわたしの現実が、別物であることを知っているからだ。邪険にされたら町牧師もいい迷惑である。
コンテイジョンを見たら感染を免れる──わけもない。

扇情は人によっては意味がないし、わたしたちが各々、見知ったものの影響をダイレクトに態度化してしまうなら、社会はカオスである。