津次郎

映画の感想+ブログ

暗く倒錯的 越後つついし親不知 (1964年製作の映画)

3.0
昔、営業車で聴くラジオ番組で、いちばん楽しかったのが小沢昭一の小沢昭一的こころだった。スクリプトとお話小沢昭一、お囃子山本直純。と毎回言う。
老年の諧謔と煩悩と哀愁があった。毎回「~の心なのだ」で締めくくった。毎回、笑った。なつかしい。だが、小沢昭一が俳優をやっていた時代を知らない。

Netflixで観たアースクエイクバード(2019)という映画に佐久間良子が出ていた。わたしの世代よりずっと昔の人だが、とても珍しい人を見た気がした。今は平幹二朗との間の息子、平岳大が、同Netflix提供、BBCが製作したドラマGiri/Hajiに出演している時代である。
(平岳大は)基本舞台の人のようで、テレビや映画には消極的だが、外国人に埋もれない立派な体躯をしていた。サラブレッドを感じる俳優である。

お姫さん女優でスタートした佐久間良子は、じっさいもお嬢さんのように育ってきた──らしい。品のいい顔立ちで、若い時分の未通女風を想像するのはたやすい。その良家の子女な見栄えが、東映の制作陣の性欲に火を付けた。東映のヤクザやポルノへ傾向と平行して、次第に翻弄されたり凌辱されたりの役へ傾向したようだ。
よく知らないが、この映画を昔観たことがあった。

風変わりな映画でよく覚えている。過失によって妻(佐久間良子)を死なせてしまった夫(小沢昭一)が、その屍体を温存しておくという話──ではないが、そこしか覚えていない。実相寺昭雄のようなカウンターカルチャーの映画ではないのに、エキセントリックな描写をしていた。

屍体を素っ裸に剥いてムシロに包んで、冷えないように焚火で暖める。夫は、妻が死んだことを認めることができず、一種の錯乱状態に陥っているわけだが、映画の狙いは当然エロだった。ただし屍姦を直接描写できるほど現代ではない。むしょうにたんたんとしたナレーションが「恐れていたことがおこった、彼女の体が腐敗しはじめたのである」とか何とか言って、ようやく焼却にする。
映画が旧さや白黒によって、描写が寡ない分、刺激された想像力はすさまじかった。

そのまことに気の毒な役で、佐久間良子をよく覚えていた。気の毒とは、役の上の気の毒さ、というより、女優として、東映の方針に翻弄された気の毒さである。前段で三國連太郎演じる粗暴な男に犯されたりもする。制作陣の性欲をもろにぶつける日本の伝統的Abused Womanを体現した暗い映画だった。