津次郎

映画の感想+ブログ

真面目さと粘り強さ 午後8時の訪問者 (2016年製作の映画)

5.0
海外の報道でPortrait de la jeune fille en feu(2019)が絶賛されている。英語タイトルがPortrait of a Lady on Fireとなっている。rottentomatoesが98%、imdbが8.2。いちばん見たい映画だが、順当にこっちへ来てくれるか解らない。

フランスのアカデミー賞=セザール賞に部門ノミネートがあがったが、ポランスキーの「J'accuse」が作品賞を受賞したことに腹を立てたアデルエネルおよび監督のCéline Sciammaらが式から退席したと報道されていた。

報道にあることしか知らないが、ポランスキーは過去の未成年者への強姦罪で起訴され、その後にも告発によって、幾つかの被害立件の渦中にあるという。
そんな彼の映画が作品賞に選ばれたことに反発し、自身も性被害のサバイバーで、フランスのMeToo運動を牽引するアデルエネルが「ブラボー!ペドフィリア!」と叫んで会場から去った──とのことである。

ポランスキーの作品賞受賞はフランス市民の反感を買いデモにまで発展した。これらは、つい先月(2020/02)の話だそうだ。

アデルエネルはいまのフランスの代表的な女優だが、日本のわたしには馴染みがうすい。見た作品もすくない。これがもっとも印象的だったが、ほかはあまり記憶がない。

ただyoutubeに遍在している彼女のインタビュー動画を見たことがある。
演技上にない素のアデルエネルは、見たこともないほど天然な感じの人である。

対談や会見の最中、彼女は、絶え間なくキョロつく。
眼球と頭がつねに動いて、意識が散漫にほかへ移る。まるで動画にでてくる赤ん坊のように、たえずどこか/なにかを触り、忙しなく好奇心の方向が変わる。
その一方で熱く語ったりもする。

その、素のファンキーな感じがクリステンスチュワート以上なのであって、とうぜん、そんな人はおらず、まして女優ならなおさらである。
ゆえに、もしアデルエネルがこの天然のまま映画に収まったら──と思うほど魅力的な「素」だが、ただし、あまりに動きが止まらないので、トゥレットとか多動性とかの障害を思わせもする。
しかし、障害ととらえてしまうなら、午後8時の訪問者の彼女はどう説明するのか。

ジェニーは、小さな診療所で熱心にはたらく医師。
落ち着きがあり、どこまでもまじめな人である。

ダルデンヌ兄弟のほかの作品に出てくる人物像と共有するものがあるが、にんげん、ふつうだったら、どこかで妥協して、流れに任せるのだが、ジェニーはぜったいにあきらめない。まじめに、信念をつらぬく。
ただし、信念をつらぬく──とはいえ、どこかの新聞記者とちがって勘違いやポーズをしない。つねに相手を思い遣り、みずからの範囲において最善を尽くそうとする。

いったいどこの映画人がまじめに生きる市井の人を描くだろう?まじめな人を描くなら、誰だってエンタメに寄せて感動に祭る。サンドラ(の週末)やジェニーのように、一途に貫いて、とりわけ大きな成果もない事象を映画にしようとは思わない。が、だからこそ、ダルデンヌ兄弟には無類の価値がある。

Portrait de la jeune fille en feuは同性愛が描かれているらしい。かつアデルエネルは監督のCéline Sciammaとその関係にあるそうだ。
天然とゲイとアデルのキーワードがアブデラティフケシシュの映画につながってしまうのだが、午後8時を見返しながら、炎の貴婦人がなんとかぶじに輸入されてほしいと思った。