津次郎

映画の感想+ブログ

わが母の記(2011年製作の映画)

5.0
主人公、洪作(役所広司)が、母校の校庭で「この遊動円木で詩を書いたことがある」と琴子(宮崎あおい)に話すが、詩の内容が思い出せない。

これが伏線になっている。
その詩を母が唐突に諳んじる場面がある。

ぼけてしまった母が、その詩の切れ端を後生大事に懐中しており、かつ丸暗記しており、よどみなく詠う。
洪作は、堪えきれず、ドッと泣き崩れる。
それは観る側も同様である。
白眉だった。

もう一つ。
紀子(菊池亜希子)の出帆のデッキでの妻との会話。
……海を渡るときは、もし沈没すれば、一家が途絶えてしまうから、それじゃご先祖様に申し訳ない、だから長男だけは残したのだ……、ということを、結婚式のとき母から聞いた、と話す妻(赤間麻里子)。
洪作は驚いて「おまえそれを知っててなぜ俺の(母に捨てられたという)言い分を修正しなかったんだ?」
「あなたが聞き分けよくなったのはつい最近ですよ……あなたは捨てられたと思っていて、いいんです。素晴らしい小説書いて下さるのだから」
洪作は何十年間も、捨てられたと、母を恨んできたのに、妻からサラッとそんなことを話され、啞然としてしまう。

母に捨てられたという反骨心が、洪作に小説を書かしめる、ということを妻が知り抜いていたからこそ、それを何年も、自分の中だけにしまっておいた、の構図。

かしずくだけの腰元みたいな妻にしか見えなかったのに、しっかりと計算高く洪作を支え、扶けていたという、妻のしたたかさが判明する場面だった。赤間麻里子の、ぜんぜん目立たない名演だった。

樹木希林役所広司は言うに及ばず、ほか原田組みんな名演だったが、個人的に登場場面もセリフもちょっとだけの真野恵里菜が印象的だった。

湯ヶ島の下女、貞代。
ひどい伊豆弁で泥だらけの田舎娘。
出たかと思えば消える野生っ子で、片っぽの鼻孔ふさいで、ふんっと鼻屎を出すのが癖。天真爛漫で、魅力だった。
──意外なところに意外な人。
駆込み女と駆出し男松本若菜みたいな隠し味が原田映画の巧味だと思う。

序盤の率直な感想は、いい暮らししてんなあ、というもの。
60年代の上流階級の人々の暮らしぶりが再現されている。

「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた時代。
わたしはもっと後の世代だが、70年代も80年代も、井上靖はずっと流行作家だったと記憶している。築かれた財には頷けるものがあった。

海辺のリゾートホテルでの家族旅行。昼間はゴルフ、ディナーで生バンド演奏。吹き抜けのエントランスホール、バーがあって、ビリアード場があって。

60年代の車輌、松原の海や神代杉の境内、世田谷の本宅に軽井沢の別荘、投光機のあるテニスコート。どこで撮ったのかわからないが、どのシークエンスもまるでほんとうの昔のように綺麗だった。

その佳景のなかを、母が亡くなるまでの10有余年の経年とともに、壊れゆく母とともに、徐々にドラマに呑み込まれた。

普遍的な話だが、より美しくしているのは60年代だと思った。
やや短絡な言い方だが、そこはまだ夢や希望があった時代──なのかもしれない。