津次郎

映画の感想+ブログ

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー(2019年製作の映画)

5.0
な、なんなんだ。このエネルギーは。
冒頭から、なぐられたみたいな楽しさ。

監督がOlivia Wildeとなっている。
Olivia Wildeって誰だっけ。
わたしには「リアムニーソンの映画で素っぱだかになったひと」くらいな、男性的な記憶しかない。

ひとことで言えば学園もの──だけど、各々パーソナリティーがやりすぎで、楽しさが飛び抜けている。

が、学園もの──とはいえ、この映画には、主人公もほかの登場人物もふくめ、プロムでキングとクイーンにえらばれるようなAlphaな人は、ひとりも出てこない。

ダサくて変わってて、あまたの類型性のなかで、かんぜんに負け組を演じるひとびとの狂乱な悪あがきが描かれている。

にもかかわらず──というより、だからこそ、この映画は温かい。

たとえば、日本の学園もののなかで、ダサくて変わっている人が、脚光をあびる世界観が存在するだろうか。

日本のクリエイターは、むしろ類型性のなかに人物をおさめようとする──のであって、いじめられっこを主人公としていてさえ、おしつけがましい善意か、何気ない上から目線──なのが、わが国の学園ものの定石である。

反して、ひとの持っている多様性を許容することにアメリカ映画の素敵さがあるんじゃなかろうか。

イージーA、エイスグレイド、ウォールフラワー、僕とアール、The Edge of Seventeen、あるいはジョンヒューズも、つねに異端に悩む生徒が、良心や友情のなかに溶解することを描いてきたではないか。

この映画にもそれがある。
ことに加えて、いろんな映画でアメリカの学校を見てきた──とはいえ、この映画のそれは、もっともっとけたたましい。

たとえばアメリカの学校(の映画)において、もっともよく見る風景が、ロッカーが居並ぶ廊下である。

ミーンガールズでもクルーレスでも、そこをプリンセス系のAlphaが並列になって闊歩するシーンが学園ものには、いわばつきもの──である。

この映画で見たその「廊下」は、いままででいちばん強烈だった。
多種多様の格好/性格/性向/肌色/体型のひとたち。
飛び交う喚声と罵声と嬌声。飛び交う紙吹雪とトイレットペーパー。飛び交う水風船(コンドーム使用の)。
自分がなければ一秒も生きられない。

だけれど、そのカラフルとヴィヴィッドな色合いのなかで、じっさい描かれているのは、主人公ふたりの友情にほかならない。のである。

それは、監督のオリヴィアワイルドが、インタビューに応えているとおり──だ。

『ガールズムービーをつくろうって考えはなくて、ビバリーヒルズコップとかリーサルウェポンみたいなバディ映画のように、お互いを支え合うふたりを描きたかった。性格の異なるふたりが、必死になって、おたがいの欠損を補い合う姿が描きたかった。高校が舞台の友情映画をつくりたかった。人生のその時期の重要さを描きたかった』

いい。
21世紀の女の子とか言ってるひとたちに爪垢飲ませてやりたい。

ちなみにRyan役のVictoria Ruesgaって女優(すごく有名なskateboarderとのこと)が死ぬほどみりょくてきだった。なんかもう破壊的にadorableだった。