津次郎

映画の感想+ブログ

なごみモードのジャームッシュ デッド・ドント・ダイ (2019年製作の映画)

デッド・ドント・ダイ(字幕版)

3.0
ジャームッシュは、オフビートをあつかってきた作家で、ダウンしているテンション──はっちゃけたり盛り上がってしまわない抑揚のままで、コメディおよびペーソスを体現してきた映画監督──と認識している。

オフビートのコメディとは、わかりやすく言えば、斉木楠雄のΨ難のようなやつだと思う。

したがってジャームッシュがわかんないひとに、ジャームッシュは、ぜんぜんオチない斉木楠雄のΨ難のように見えているのではないか──と思われる。

これは説明を目的とした参照であって言うまでもないが斉木楠雄とジャームッシュは別物である。

ただしこの映画のばあい、ジムジャームッシュのオフビートわかりますフィルターに加えてゾンビ映画の素養もひつようだ。

アイロニーとパロディだらけで、なにげに高いリテラシーをようきゅうしている映画なのかもしれない。

ちなみにリテラシーとは文化的素養の享受進度のことだ。いうなればカニとカニカマのちがいを察知できる舌のこと──みたいな、格付けチェックで試される、わかってんのか・わかってないのかの違いをリテラシーと言う。(のではなかろうか。)

しかしリテラシーは教養の一種だが、ジムジャームッシュわかりますフィルターは感性の一種である。

なにげにそれらを同時にようきゅうしている、ことに加えて、なんかメタな方向へ流れて行ってしまう。メタとは形式や約束事を無視した──という意味だ。(と思う。)

わたしはいやなやつなので、映画を見る前に、海外サイトの評価を参照する。
そしたら、この映画ははじめてコケていたジャームッシュの映画だった。

だからむしろきょうみをそそられた。

映画は、なんらかのパロディかアイロニーがありそうな感じで進行していく。
ロメロへのトリビュートは確かだが、あとはよくわからない。

ティルダスウィントンが演じる「ゼルダ」は金の仏像をすうはいしていて、柔道着に黒帯してて、刀をふって阿弥陀仏とか言うので、むちゃくちゃな日本テイストが、タランティーノやタランティーノの周辺に見えるが、結局なんなのかはわからない。

全米の人気アイコンであるゴメスが首をちょんぎられるのはヒロインが生き延びるゾンビ映画にたいするアイロニーであろうと思うが、真意はわかんなくても、それが笑えるならば「俺にはわかる」でいいのかもしれない。

たとえばアダムドライバーがまっかなSmartのコンバーチブルに乗ってるだけで、笑いがこみ上げてきたし、さいしょの犠牲者のあと、マーレイのセリフ「それじゃ。こいつはナニか。ゾンビのしわざか」って言うのは、本気で笑った。

ところがである。中途まで、いいかんじのジャームッシュなんだけれど、ジャームッシュのパロディ精神が旺盛すぎて、しまいにはアダムドライバーに台本を読んだ──と言わせてしまう。

これは映画ですよ、わたしたちは配役を演じてるにすぎないんですよ──と告白させてしまうのは、いくらパロディにしたって、いけないんじゃなかろうか。そんな映画はじめて見たんだが、いいんだろうか。

そこから、UFOが飛来して、ゾンビをたおしまくって、なんか落としどころが解らないままおわる。たしかにコケていると思うが「俺にはわかる」わたしとしては楽しかった。虚勢はりたいわけじゃなく俺にはわかったんだ。

たぶん、想像だが、ビルマーレイがいてトムウェイツ、ダニーグローヴァー、スティーヴブシェミもいて、キャロルキングとかイギーポップなんてひとまでいて、なんかそういう古馴染みと仕事しててジャームッシュがたのしくなってしまったんだと思う。

そこへプラスしてMaya Delmontもゴメスもたのしいし、こどもたちもゾンビメイクしてゾンビ歩きするし、ほかにもたくさんの仲間たちがカメオロールでゾンビやってくれるし、現場がたのしい雰囲気で満たされてしまったから、さいごは、まあいっかという感じの流れ解散になってしまった──のではなかろうか、と思った次第です。