津次郎

映画の感想+ブログ

ザ・コール(2020年製作の映画)

ザ・コール

3.8
バーニングにチョンジョンソという女優が出ていた。
おっかない、目をひく女優だった。
そのイチャンドンの映画が、役者としてはじめてのしごとだったそうだ。
逸材だった。

この映画のトレーラーを見たとき、そこにパクシネとチョンジョンゾがいた。

お、パクシネの映画か、見たいなと思い、え、あのチョンジョンソと共演か、うわ、すごく見たいぞ──というかんじになった。

パクシネ主演だけでも大きな誘惑だったけれど、バーニングで見たあの女優が絡む──と知って、誘惑が増したのは、シネとジョンゾが、正反対のキャラクターだから──である。四倍増になった。

アイコンなパクシネについては、言うまでもないが、温厚なキャラクターが持ち味。
無類の向日性。
配役上いろいろ演じているとはいえ、基本ドラマ畑の、韓国ノワールとは縁遠い女優だった。

たいして、ジョンソはギラつきが持ち味である。かんぜんにノワール向きキャラクター。みるからに不安で、みるからに野卑がある。むろんほめことばである。

ふたりは、なにからなにまで、正反対に感じられた。
丸さと鋭さ。
あかるさと暗さ。
楽観と悲観。

じっさいの性格がどうであれ、対照的なキャラクターを持っているふたりだった。
見たい度がかさむのは、合理だった。

ところで、映画レビューでは、しばしば、期待外れということばがつかわれる。

映画に期待したことがあっただろうか──と考えてみる。
おそらく、まだ若いころ、映画を見始めて50本目あたりまでは、期待していながら、それが外れた、という現象があったのだろう──と思うが、あんがいポーズ性の高いことばではないか──と感じる。

つまり、ほんとに期待して外れたのか──じぶんの胸に手を置き、おちついて正直に心慮してみたら、まあ、それほど期待してはいなかったし、それほどがっくりもきていない──のではないだろうか。

いうなれば、映画をディスりたいときに、手軽にそれをあらわせることばとして、期待外れがつかわれる──わけである。

わたし/あなたが、そこそこおとなで、なんびゃくもの映画を見ているなら、期待が、すこしもあてにならないことは知っているはずだ。

とはいえ、である。
こういうばあい、対照的キャラクターの共演に──どんな風に料理されるんだろうか──という感じに、期待していたのは、まちがいなかった。

日本公開予定に入らなかったので、見られないだろうと思っていた。
が、映画は、韓国での一般公開後にネットフリックスへ卸された。

新型コロナウィルス禍下で、通常公開予定だった映画をストリーミングサービスがdistributeする──ということが、さいきんよくあるらしい。
シカゴ7裁判もそれだったようだ。

本作のイチュンヒョン監督は短編が一本あるだけの人で、ほぼ初監督作品といっていい。
パクシネと同年の30歳だそうで、製作報告会の動画を見たらイケメン男優のような見ばえの意外なひとだった。

過去との交信をテーマにしたホラー映画。
オーロラの彼方へ(2000)を思わせるが、ホラーかつノワールテイスト、固有色は強く感じられた。

映画は驚くほどクオリティが高い。

韓国ですでに劇場公開されているが、どこにも世評がなかった。
期待の新人登場とか、「鬼才」あらわる、の報道も見ていない。

が、カメラも、フレーム取りも本物。キムジウンの箪笥さえおもわせる。筋書きも大胆でおもしろい。ライターを兼ねた30歳の初監督作品が、このクオリティである。

適切な比較ではない──かもしれないが、シライサンという驚天動地の駄作があったが、この映画のイチュンヒョン監督は、キャリアとしてみればあれを監督した人物と同格、むしろ10歳以上若い。

そしてチョンジョンソ。ホアキンのジョーカーのような凄み──と言ってもけっして言いすぎではない。このNetFlix配信であちこちのクリエイターからお呼びがかかる──と思った。

韓国の底知れなさ。と、振り返ったときの本邦の格差。
日本の映画広報が「このひとたち心臓つええなあ」って感じに見えてしかたがない。
──という、いつもながらの結論へ帰着しました。

映画はエンドゲームにもあった過去の改変という量子物理学の命題を大胆に料理していた。と思います。