津次郎

映画の感想+ブログ

続編の法則に埋もれる 新感染半島 ファイナル・ステージ (2020年製作の映画)

新感染半島 ファイナル・ステージ(吹替版)

2.7
釜山行きの続編だが、舞台となるのは感染者だらけの廃都市である。
前段で、そこへ行くことになる経緯を描き、主人公(カンドンウォン)がやってくる。

『ヨン・サンホ監督によると、『ランド・オブ・ザ・デッド』、『ザ・ロード』、『マッドマックス』、『怒りのデス・ロード』そして漫画『AKIRA』と『ドラゴンヘッド』から影響を受けていると語っている。』
(Wikipedia「新感染半島 ファイナル・ステージ」より)

たしかに、そんな世界が展開されており、その街は、われわれが見てきた数知れないポストアポカリプスの世界を踏襲していた。

ヒット作の続編なので、その詰め込み過ぎを、憎めない──とはいえ、多すぎる既視感は(いちじるしく)映画の価値を落としていた。

長すぎるゆえの中倦みもあった。
エモーショナルな盛り上がり方も、うるさい感じがした。
個人的には、もっとずっとドライでいい。

しっかりしたプロダクトだが、続編らしい失敗作だった。と思う。

ただ、この可惜な映画で、唯一、パッと明るい躍動をおぼえるのが、イレの登場シーン。
生き残り家族の長女。
超絶のドライビングテクニック。
賢さとあどけなさの同居。
庶民的、かつ明瞭なアジア感。

ソウォンと犬どろぼう完全計画で、大物子役っぷりを見たことがあるが、好感度の高い14歳に成長していた。

韓国映画の対外マーケティングが、どうなっているのか知らないが、おそらく世界で韓国映画は庶民の選択ジャンルの一枠に成長している──はずである。

この映画は、英語圏のタイトルがPeninsulaになっていて、いちばん最後の公開地である日本に来るまで、海外メディアの広報を再三、目にした。

告知から、ここまで遅延すると、わたしの好きな海外映画レビューサイトでの評もすでに固まっているので、はんぶん見たような気分になってしまう。

言うまでもないが、日本でも韓国映画は人気の一枠である。
だから「新感染の続編か、カンドンウォンか、続編倒れか」という感じで、たいした驚きもなく海外評を受け容れた。

が、プロダクトは、ハリウッド映画の新作情報──みたいな印象があった。
韓国映画は、すでに、そんなポジションのコンテンツになっている。──わけである。

おもえば、わたしが韓国映画を意識しはじめた90年代の中ごろ、韓国映画といえば鯨とり(1984)しかなかった。

ほかのレビューでも書いたことがあるが、これはほんとのことで、韓国映画は90年代後期まで、ほとんど何にもなかった。そこから一気に攻勢して00年代半ばで、すでに百花繚乱の状態に至ってしまった──のである。

で、韓国映画に鯨とりしかなかった90年代の中ごろ、日本映画といえば黒澤明と小津安二郎が、ゆうめいだった。それは1950年代から、変化していない。で、いま(2021)も日本映画というと、黒澤明と小津安二郎がゆうめいだ。

・・・。

ここからはじまるdis日本映画は、割愛するが、この映画を見ていちばん感じたのは、ここから一気に、海外の映画監督から起用されそうなイレの押し出しだった。なんとなくすごい女優になりそうな気がする。