津次郎

なんか書いた

世評を見て、えんとつ町のプペルを見て、レビューをしたら、見えてしまった気がする、ぜんぜんおもんない自分

初noteなんで、noteっぽいタイトルにしたんだけど、すげぇ小っ恥ずかしいもんですね!(後日追記:本ブログはnoteからの引っ越しです)

見る前に、この映画に関わっている有名人、そのオンラインサロン、製作の背景、いろんな炎上の話題など、内苑も外苑もぐるぐる二三周してしまったため、とうてい、素の状態ではなくなってしまった。

映画を見るときは、基本的に「くもりのないまなこで見よう」とは思っているのだが、これだけ色々知った上で見ると、とうていニュートラルな声は出ない。

映画には感心できなかった。

でも、それが、さまざまな先入観に支配されていない声だとは、もはや自分でも確信できない。

だから、違う切り口で、感想を述べようと思った。
と言いつつ、よくある感想になっていたら、ご愛敬でございます。

映画には、賛否があったが、興行的に成功しているので、大衆に受け容れられた映画とは言える。と思う。

こんなとき、わたしはThe Officeのリッキージャーヴェイスの発言を自分に言い聞かせる。

『あなたが気分を害したからといって、あなたが正しいとは限らない』

自分は偏屈ではないと思っているが、年間に見た映画の三割ほどは、ジャーヴェイスの、その言葉を思い浮かべなければならない。

つまり大衆が褒めたたえる映画が気にくわないことが、わたしはけっこうある。
また、逆に、大衆がけなす映画を好ましく感じることも、けっこうある。

わたしは映画サイトのレビューに感想を書いている。
すでに300本以上になった。
ゆいつの趣味です。

世評と主観のちがいを感じるとき。
それは、みずからの内なるクリエイティビティを感じる瞬間。
昔から、だいじだいじにしてきたこの「じぶんだけがトクベツ感」。

んなわけで、庶民の映画レビューで、もっとも使われる、もっとも強い自意識を持った発言は「高評価だらけでびっくりした」もしくは「低評価ばかりでびっくりした」というものです。
どの映画にも、かならず一定量の、その発言があります。

それは、謂わば「俺は、おめえらとはちげぇんだよ」という意味です。
じっさいびっくりなんぞしていません。
他の人たちを嘲弄するために「びっくり」してみせるわけです。

なにを嘲弄しているのか──と言いますと、じぶん以外の大衆が持っている映画理解力=リテラシーです。

「きみたちはね、なんにもわかってないから、こんなC級映画を絶賛しているんだよ」あるいは「この傑作が理解できないなんて、なげかわしい」の意味を「びっくりしました」に込めています。

日本の大手映画レビューサイトはいずれも5段階評定です。
ちょっと、ごらんになれば解るとおり、どの映画にも3または3.5の近似値が与えられます。
ダメな映画、いい映画がないわけじゃありません。
ただ日本人は、良い悪いを言ってしまうくらいならば、中庸をとります。
で、総ての映画が3.5辺りをウロウロして埋没するのです。
もはや、どれがいい映画なのか、どれがダメな映画なのか、わかりません。

だからこそ「高評or低評だらけでびっくりした」が、映画レビューサイトの定番発言になるのです。

のきなみ、まあまあ評価をするので、びっくりしなけりゃやっていられない──ゆえに「高評or低評だらけでびっくりした」と述べて、突撃していくのです。とうぜん、俺は違う──っていう自己顕示欲込みです。

すでにお分かりのとおり、これはわたしのことを話している──と同時に、映画をよく見て知っている、あなたのことも話しています。

もしかしたら完全に反転した嗜好かもしれませんが、わたしも「高評or低評だらけでびっくりした」と言いたくなった映画があるならば、あなたにも、きっとそんな映画があったに違いありません。

真逆の意見でも、映画批評に正誤はありません。
わたしはこう思います。──でお終いです。
議論の余地も、議論の必要もありません。
映画批評とは、そういうものです。

だけどプペルには、他の映画よりも、賛成と反対間に対立の構造があります。
その構造をつくっているのは、かのオンラインサロン主宰者かもしれません。

その裁定は置いても、映画の賛否が社会現象のような、うねりを形成していることに気づくはずです。
これだけ喧々囂々となる映画も珍しいですよね。プペル自体は狂言回しに過ぎないのです。全体像として、かれが先導する巧妙な商法になっていませんか?

結局、プペルは映画じゃないと思う──ので、レビューサイトには「高評価だらけで、びっくりしました」と序文して、突撃したいと思います。

みんなあいつの商法に欺されているんだ!目を覚ませよ!って言ってやるんです。
自己顕示欲もあるけど、義侠心すよ。

ところが、です。
わたしは「高評価だらけで、びっくりしました」と、じぶんの感想を述べてご満悦になれるのですが、プペルが狂言回しであり、それに寄って集って、賛否する構造全体が、商法であるならば、わたしも構造物の一人になる──わけです。

冒頭にも述べたとおり、プペル周辺には大量のネガティブな見解が集まり、その発信が、のきなみいいねを伸ばしている──という現象があります。およそプペル批判で、ご意見番に昇格した人さえいたいに違いない。
いわゆる「逆張り」になってる、わけ。

結局、貶したとしても、その記事が小バズりしたんなら「だれか」に感謝しなくちゃいけねんじゃね?

なんかやだね。ネットって。