芸能人のウィキペディアで、よく「仲が良い」との表現を見かけます。
とくにアイドルのウィキペディアに多く、
○○と仲が良い。
また△△とも仲が良い。
また事務所がおなじ□□とは、いっしょに食事や買い物へ出かけるほどの仲である。
──などと、表記されています。
これは芸能人、かつ現代人にしかありません。
たとえば伊藤博文のウィキペディアに、井上馨とは仲が良い。また高杉晋作とも仲が良い。などとは書かれていません。
誰にでも仲の良いひとがいると思います。
友人の多寡は、人それぞれですが、真の親友となると限られます。
かつて仲が良く、いまは疎遠になった人もいるでしょう。
わたしも長い親交となると思いつくのはせいぜい一人か二人です。
交遊が広い人でも、つるむ相手は、年月のうちに絞られてくるものです。
「仲が良い」人が、そのままずっと仲が良いとも限りません。
芸能人、ましてやアイドルの「仲が良い」は、フリー百科事典に載せるほどの持続性を持っているのだろうか──とわたしはつねづね疑問に思うのです。
むろん、それは素人の無知であって、芸能界のような虚実に入り混じった世界だからこそ、アイドルどうし結ばれた絆は、分かちがたく固いのかもしれない・・・。
──なんて思うと思いますか?
かれ/かのじょがアイドルであろうと、アイドルでなかろうと競争世界の「仲が良い」が、泡沫であることを、人は気づいているはずです。
もちろん、それに賛同しない人もいるでしょう。
かつて出会い、気があった人たちと、その後もずっと良好な関係にある人もいるでしょう。
しかし人間、ふと気づけば「あの人」と疎遠になっているものです。
わたしはなにも、仲が良かったひとと、やがて仲が悪くなるのが世の常だ──なんて言いたいわけじゃありません。
人もわたしも、あっちやこっちへ転々とし、困窮していたり儲けていたり、病になったり、誰かと懇ろになったり、それらの各々の生活事情のなかで、なおかつ知友が継続していくことは、稀なことだと言っているのです。
なぜ「仲が良い」が情報になってしまうのかがわからないのです。将来、仲が悪くなったり、仲が良いといえるほどでなくなったり、──その更新情報は反映されるのでしょうか。なぜそんなサステナビリティのない事象を、辞書的なものに載せるのでしょう。
てか、シンプルに面白くないですか?
○○と仲が良い。
また△△とも仲が良い。
また事務所がおなじ□□とは、いっしょに食事や買い物へ出かけるほどの仲である。
プッ。