津次郎

なんか書いた

朗報!この国フランダースの犬の最終回で天下取れっぞ!

今(2021年)でも、お涙頂戴な演出は、わが国の映画やドラマの定番だと思います。

外国映画はあまりお涙頂戴を使いません。おそらくあるとは思いますが、すぐに思い浮かぶものがありません。
ニューシネマパラダイスやライフイズビューティフルはお涙頂戴でしょうか?人それぞれでしょうが、名画とお涙頂戴は区別しなければいけないと思います。

今はお涙頂戴ではなく、感動ポルノという言い方が定着しています。細かいことにこだわらずに、とにかく積極的に泣かそうとする演出です。
個人的な見識ですが、近年実写でもっとも露骨なそれは、湯を沸かすほどの熱い愛(2016)でした。主人公双葉は薄命、娘の安澄はいじめられっ子、探偵さんは亡妻の子連れ、拓海くんは継親から逃げ出したヒッチハイカー、酒巻さんは唖者。右も左も不遇の免罪符しょっている人物だらけ。かれらが不幸自慢を繰り広げる様子はモンティパイソンの4人のヨークシャー男も顔負けで、エジプト行きたいを伏線とする人間ピラミッドなんか、全身鳥肌の恥ずかしさでしたが、映画サイトは軒並み高得点をつけています。つまり大多数の人々を支持を得ていました。

おそらく日本にお涙頂戴な演出が多いのは、日本人がそれがすきだから──でもあると思います。
映画のレビューサイトでは「泣けた」が褒め言葉として常用されています。てことは「泣けなかった」はとうぜんサムズダウンです。ばあいによっては、泣けたか泣けなかったかが、映画を良し悪しの判断材料ですらあります。

個人、一般庶民は、みんなに映画の魅力を伝えたいと考えるより、映画に泣ける自分の感性をアピールしようと考えます。それを伝えるには「良かった」よりも「泣けた」のほうが効果的です。ネットワーク内での自己主張がレビューの主目的になったため「泣けた」が合意・不合意のキーワードと化してしまったわけです。すなわち「泣けた」とは映画の感想ではありません。レビューの読み手に宛てた共感促進の会釈です。そこへいいねをすることで挨拶が成り立ちます。

とはいえ、泣けたから泣けたと言って何がいけないでしょう?また泣くことは、庶民、労働者にとって身近なストレス発散方法です。サクッと泣いて眠りに就く──のは、健全な消費生活だと思います。

ただし、こんにち泣けたか泣けなかったかが、映画のひとつの判断材料になってしまっているのなら「泣けた」発言は、寄るか去るかの他者の判断材料にもなりえます。
「泣けた」との批評に寄ってくる人々もいるでしょうが、同時に「へえ、これに泣けちゃうんだ」と去る人も生じさせるに違いありません。

湯を沸かすほどの熱い愛に並んだ高評価だらけレビューをながめたとき、わたしは強烈な疎外感を感じました。「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」「泣けた」が居並ぶその渦中へ「爆笑しました」で突撃するのは気が引けたからです。パトラッシュが宮沢りえになったような映画──とのレビューも書かず終いでした。

えんとつ町のプペルの革新性は、その作品の外側にある、ほかの映画にはない民主的な雰囲気だと思います。製作にたずさわったお笑い芸人のキャラクターや戦略性によって、気兼ねなく酷評で突撃できます。宮崎駿に酷評で突撃するような蛮勇気が、さらさら不要であるばかりでなく、映画通も、そうでないひとも気軽に批評に参加させる公平さをもっています。
作品自体とくべつな読解力を必要とせず、合意のキーワード「泣けた」によって簡単に共同戦線を張り、酷評を駆逐することができます。一方で酷評するのも易しく、ネットワーク内でのcontroversal(議論を呼ぶ)旨味もあります。

オタキングとして有名な批評家兼実業家が、ご自身のYouTube番組でプペルを見る予定はなく、配信へ落ちてきたら見ると言いながら、じっさい未見のまま、感動ポルノだと断定していました。わたしは氏の高畑アニメや宮崎アニメにたいする、精微でクリティカルな解説に常に感心しきりでしたので、さすがオタキング──と思ったのです。未見という不遜を凌駕する見識がある──そう考えたのです。
個人的な実感としてもプペルは感動ポルノで片付けていい映画でした。作品の外側に面白さがありますが、わたしにとって未見のオタキング氏の発言が最大の合意でした。(ただし岡田氏西野氏、ともにオンラインサロンを主宰する仲間、友人としての関係性を持っているはずです。とうぜん会員を囲い込む手法としてのアニメ映画であることは認めた上でのツッコミだと思われます。)

すでにお分かりかもしれませんが、お涙頂戴=感動ポルノの主目的は人とお金を集めることです。一日中放映する募金テレビ番組がこの手法をもっていることをご存じだと思います。それがいけないとは思いません。その発頭人とて、人とお金を集める手法を使って人とお金を集めているだけのことです。ちっともわるくありません。
プペル周辺の話は、どうでもいいのです。ただ感動ポルノではないものが、感動ポルノに負けるならば、この国にまっとうな映画/ドラマができる地盤(リテラシー)なんかないんじゃなかろうか──とはちょっと思います。

補:リテラシーは「読解力」の意味として使ってます