津次郎

映画の感想+ブログ

もうデヴィッドボウイもプリンスもいないんだなあ・・・洋楽厨だったあの時代を思い出すサントラ

むかし映画フットルース(1984)というケヴィンベーコン主演のダンス映画があり、そのサントラがものすごく売れるという現象があった。
そして、フットルースのサントラを買ったり聞いたりした人のほとんどが「サントラというものはやたら魅力的に感じられるのに反して、じっさいにはさほど聴かないもの」と知ることになった──のだった。
しかしそれを知った人でも、映画を見て衝動的にサントラを買ってしまうことがあった。

わたしにとって最も思い出深いサントラはプリティインピンク/恋人たちの街角だった。大ヒットしたOMDのIf you leaveが収録されている。オーケストラルマヌーヴァーズインザダーク。会社のセミナーでPDCAが何なのか毎回忘れるわたしもOMDはスラスラ言える。そのイントロには今でも胸がキュンキュンときめく。あの当時洋楽を聴いていた者ならばその「キュンキュン」に同意していただけると思う。
ウィキペディアにも『2012年、米国の音楽サイトSpinnerが発表した、「映画サウンドトラックベスト15」の一つに選ばれた。』とある。やはり、すごく売れたサントラだったが、サントラにまつわるロジック「魅力的にかんじられるのに反して、じっさいにはさほど聴かない」に抵抗値をもった「ちょっといいサントラ」だった。

もっとも好きだった曲はEcho & the BunnymenのBring on the dancing horses。かれらは「エコバニ」と略称されていた。
他にもニューオーダーにスミスにサイケデリックファーズに──個人的に、どストライクなサントラだった。

ジョンヒューズが噛んでいるアメリカ映画でありながらサントラは英国圧勢。すなわちこのサントラの高評価因子は、ブリティッシュインヴェイジョンの風合いと玄人受けするアーティストにあった。
厨二な洋楽信仰者の自尊心をくすぐるサントラだったと言える。そしてわたしは厨二な洋楽信仰者だった。

あの当時の洋楽信仰者で、とりわけラフトレード、ヴァージン、ブランコイネグロあたりの英国勢に傾倒していた人間は、じぶんはトクベツに趣味がいいという自尊心を持っていた。わたしもそうだ。ところが時代を経て振り返ってみれば、自分だけの趣味だと思っていた曲たちが、定番の懐メロになっている。プリティインピンクのサントラが好見本だった。

そうは言っても、当時わたしの周りで洋楽を聴く人といえばスプリングスティーンなどのアメリカ勢がマジョリティであり、大多数は外見(美男美女)から入ってくるのでリックスプリングフィールドだのローラブラニガンだのを聴いていた。プリンスは気持ち悪いとされていて、ボウイと言えば必ず勘違いされMarionetteを巻き舌で鼻歌されるのがオチだった。

ゆえにオルタナティヴなロックへの傾倒は誰かと共有できる嗜好ではなかった。イアンマッカロクかロバートスミスかハワードジョーンズあたりを想定した髪型も学校では「お!藤井フミヤ」とか言われてしまうのである。わたしは誰とも重複しない音楽を求めてさまよっていた、つもりだった。そんなじぶんが潔いと思えるほど若かった。

プリティインピンクではジョンヒューズは脚本と製作に回っている。
だから、この映画には山椒のぴりりとした辛み=ヒューズ節がない。
軽調な学園ロマンスになっている。
だが、それはそれである。

当時モリーリングウォルドはグルーピーを形成するほど人気があり、彼女のひらひらしたファッションを真似る女子をリングレッツと呼んだ。
想像できますか?
多くの同世代にとってこの映画は青春そのものだった。
つくづくジョンカーニーのSING STREET(2015)を映画館で見なくて良かったと思う。号泣どころじゃなかった。コナー君に慟哭しブレンダン兄いといっしょに咆哮した。

わたしが持っていたフットルースやプリティインピンクのサントラは塩化ビニール製だった。コンパクトディスクへの過渡期にあり、ミュージックマガジンが「CDで聴くビートルズ」を特集していたような時代だった。それから30年経ちオンガクの再生環境は激変し今やアルバムやサントラといった単位で音楽を聴くことがない。だいたいメディアをプレーヤーにセットしたのがいつだったか、もう思い出せない。

わたしはもう音楽を探さない。西新宿をさまよわず、ミュージックマガジンもロッキングオンも小林克也もピーターバラカンも忘れ、アンプのセレクター『MC』が何を意味しているのか、スピーカーの下に敷いた十円玉が何の目的だったか、メディア店に数多並ぶメディアが誰の購入を期待しているのか、どこかで人知れず鳴り続けるオンガクが何を伝えるのか、誰が何を聴いているのか、ぜんぜん気にならない。