津次郎

映画の感想+ブログ

難しい役をこなしたエリザベステイラー 去年の夏 突然に (1959年製作の映画)

去年の夏 突然に

3.8
テネシーウィリアムズはポールニューマンが監督した映画、ガラスの動物園(1987)によって知っている。
ほかのゆうめいなエリアカザンやリチャードブルックスの映画も見たことがあるが、じぶんとして、もっとも大きいのはポールニューマン(が監督した)映画のガラスの動物園であり、とりわけトムを演じたジョンマルコビッチによって、強い印象がある。

わたし/あなたがガラスの動物園の一家ほど貧しくなくても、ガラスの動物園のトムやローラは、胸がくるしくなるほど、じぶんと重ね合わせることができる。テネシーウィリアムズは、そんな普遍性をもっている。気がする。歳をとっているのにぶりっ子なブランチ(欲望という名の電車)だってそうだ。何気にリアルでシンパシーを感じてしまう人物像にテネシーウィリアムズの鋭いにんげん観察力がある、と思っている。

とはいえわたしは極東のお百姓なので、テネシーウィリアムズといっても舞台も見たことはないし、それらの二三作の映画で知っているていどである。
たまさかストリーミングサービスに降りていた、この映画もはじめて見た。

墓場までの秘密にしなきゃならなかった時代の同性愛を扱った映画だった──らしい。ウィリアムワイラーの噂の二人よりも二年早いが、同性愛がほとんど明示されない。同性愛の描写はもちろん、同性愛ということばも、出てこない。それほどまで同性愛がヤバいものだったわけだが、今見ると、必然的に、なにを大騒ぎしているのだ──の感はある。
というより、その隠匿や大仰ゆえに、メタファーとか諷喩によって、なんかまったくちがうものを描いているような気配さえ感じる。

ラストでセバスチャンが「食われた」というのは、げんじつに同性愛がバレると、リンチして死にいたらしめるようなことが普通にあった時代だから。だと思う。
この今となれば、解りにくい物語を(わたしなりに)叙説すると、セバスチャンは異国で、性的欲求を満たすべく、現地の青少年を漁っていた。その方法は、かつては母ヴァイオレットが餌となって男たちを誘惑していたが、老いると母はその任を姪キャサリンに託した。やがてセバスチャンは「現地の貧しい青少年を拾っては悪戯する同性愛者」の悪名が知れ渡り、結果、少年らによって八つ裂きにされ、それを目撃した姪のキャサリンが狂乱した。その顛末を悟られたくない母ヴァイオレットが、事実を知るキャサリンにロボトミー手術をしようと画策する──という話。(だと思われる。)

現代では、解りにくい物語になっているが、キャサリン(エリザベステイラー)は扇情的に描かれている。お嬢さん役を脱皮し、肉がつきはじめたころで、ギラギラとした性的アピールがあった。よく知らないがエリザベステイラーは太りやすいひとだったのではないだろうか。この後さまざまな映画で小太りなテイラーを見た。わたしは太ったエリザベステイラーがだいすきだった。

自身がゲイだったテネシーウィリアムズはじっさいにこうしたヘイトクライム(集団暴行)に遭って書いたのかもしれない。興味深い古典映画だったが、戯曲の映画化だけに、回想しているのに、その時その場所へ飛んでくれないもどかしさがあった。ラストシークエンスは部分的にフラッシュバックがあったが、「こんなことがあった」をほとんど演技力に依存していて、テイラーがもっとも難しい役どころだった。