津次郎

映画の感想+ブログ

胸に迫るリアリティ ルーム (2015年製作の映画)

ルーム スペシャル・プライス [DVD]

4.5
話題作だが未見だった。VODで見た。

この映画が刺さるのは、状況を弁解していないから──だと思う。おそらく日本映画であれば「わたしたちは、しいたげられた、かわいそうな母子なのです」の情感を強調表現するだろう。この母子が、しいたげられた、 かわいそうな母子なのは、間違いのないところだが、演出でそれをやると、ザ日本映画になってしまう──わけである。

むろん日本映画と比べる必要はないし、とばっちり、牽強付会だが、この映画の肌感は日本映画の対極にある──と思ったので、無理に対比している。日本のたいていのクリエイターは演出に情感が必要だと考えている。個人的にはそうは思わない。まして情感を描けるか描けないかが未知数ならば情感を出そう──とはしない。狙い通りに伝わるかどうかが解らないならば、狙うべきではない──と思う。

ルームは異常な状況を克明に描きながら、情感は出さない。情感とは、悲しみに暮れる母子の様子であったり、暴力で制圧している男の憎々しげな描写であったり、悲愴な音楽であったり、その他さまざまな同情を誘う表現方法──のこと。それが、まったく無いので、母子が置かれている恐ろしい状況がダイレクトに伝わってくる。

情感が無い=いい映画、と言いたいのではなく、この映画に関してはそれが効果的だった──という話。その叙事(感情をあらわさず事実をありのまま)的な描写に加えて、要所でジャック目線に切り替わる。まだ幼いゆえ、ルームに郷愁(ホームシック)のようなものを感じている。籠を取り払っても出ようとしない籠飼いの鳥──のような感じ。その悲痛も伝わってきた。

また、本作では、むしろ被害者側の混沌を描いている。ジャックのわがままや、マの家族の確執を描いている。ザ日本映画であれば、被害者に負の描写をかぶせない。反意語を置かない。被害者は「(あくまで真面目に生きている)被害者でございます」の体で置くのがザ日本映画の常套手段なので、そこにも対極を感じた。

中盤、マはジャックだけでも脱出させる策を講じてサスペンスフルになる。見ているのは社会派の映画なのだが、一か八かの窮策が、昂奮をともなってくる。トラック荷台の、敷きマットの中で転げるジャック。初めて見あげた空。走れジャック。たのむ。逃げ切れ。いつしか手に汗を握っていた。

監督は、ジェンダー間バイオレンスに訴求する映画をつくった。ただし、その訴えを多数の共感を得られるものに仕立てたのは、サスペンスフルな要素でもあった。と思う。映画は「思い」や「個性」によって伝わるものじゃない。いかに尊い告発も技術がなければ伝わらない。

これは透明人間(2020)にもいえる。あの映画も透明人間を狂言回しにしたジェンダー間バイオレンスの映画──だった。伝えたいことがあるなら信念も個性もいらないからハリウッドや韓国へ行って映画を学んできてくれ──という話。である。牽強付会と知りつつ、強引にザ日本映画と比較した。

ところで、欧米が根本的に異なるのは被害者が顔出しで取材に応えてしまうところ。日本では虐待や監禁などの被害者が顔出しすることは、まずない。
ただし、叙事を貫いた本作も、映画内インタビューは、やや煽りすぎ──な気がした。犯罪被害者のインタビューを見たこともあるが、あんな突っ込んだ、意地悪な質問はしない。そこは、ちょっと盛りを感じた。

幼いジャックが「ルーム」回帰をしきりに言うのは、ホームシックというより、母胎のようなもの──だからかもしれない。その幻影にさよならをするラストシークエンスは、かれが事件から解き放たれるオブセッションとして、とても説得力があった。

なお余談だが、ブリーラーソンの出演履歴を眺めて、ホントに作品に恵まれている人だな──と思う。本作もショートタームもガラスの城も、マーベルも。
余談ついでに言うが、日本にも演技派の女優さんが大勢いる。その履歴を眺めたとき、見事なほど、いい映画が一つもない。