津次郎

映画の感想+ブログ

明るさという生命力 ラブ&モンスターズ (2020年製作の映画)

ラブ&モンスターズ (字幕版)

3.8
冒頭に映画内の世界設定──なぜ、そうなったかの説明がある。ジョークを交えながら、矢継ぎ早に説明するのだが、解りやすく、説得力がある。

わたしはかつてSteamで日本語サポートのない、小難しいリアルタイムストラテジーゲームを買ってしまったことがある。ゲームにはたいていtutorialというものが付いてくる。事典によると「家庭教師の、個別指導の」などと訳されるらしい。スタークラフトが好きだったわたし(古いにんげんです)は、だいたいリアルタイムストラテジーなんて同じでしょみたいな軽い気持ちで英語のみのゲームに手をつけてしまったのだが、このゲームのtutorialの出来がよくなかった。(これは主観であって、わたしの英語力があれば、よかっただけ──なのかもしれない。)

ご存知のとおりtutorialは、解りやすくなければならない──のだが、細かい解説ばかりで退屈だと、飛ばしてしまう。やってるうちに解る、と思ってしまうので。
それゆえtutorialは、あっさりと簡素化された前置きで、細かい部分については、じっさいステージ1をやりながら、説明をしていきます──みたいな構造が望ましい。

この構造は、ゲームをする人の「はやる気持ち」に由来する。と思う。はやくゲームをしたいので、前置きが冗長だと、飛ばしたくなる。かといって導入部(tutorial)の出来がよくないと、ゲームにのめり込めない。

これは映画も同じ。ではなかろうか。フィクショナルな世界設定を前置きで叙説するばあい、それが下手くそだと、興醒めする。
日本を代表する天才監督のひそひそ星という映画がある。SF仕立ての映画で、その世界設定は、冒頭にどんと出てくる文章で説明される。わたしはかつてそのレビューを書いたことがあり文字起こししたことがある。

『人類はあれから何度となく大きな災害と大きな失敗を繰り返した。その度に人は減っていった。宇宙は今、静かな平和に包まれている。機械が宇宙を支配し、人工知能を持ったロボットが全体の8割、人間は2割になっている。すでに宇宙全体で人間は、滅びていく絶滅種と認定されている。科学のほとんどは完結しているが、人間は昔と同様、百年生きるのがせいぜいだ。人間の人口は、宇宙の中でしだいに消え入るローソクの火のようだ。』(『ひそひそ星本編より)

あなたはこの「tutorial」ではじまるゲームをやりたいですか。

ラブ&モンスターズの導入は、巧い。サクっと世界に入りこんだ。入りこんだことさえ解らなかった。このtutorialで、既に観衆には、プロダクトの格も、資本力も、携わっている人々のプロフェッショナルな手腕も、解ってしまった。ゲームで言うなら、セガとかコナミとか、そういった超大手メーカーのゲームという感じ。さすがだった。

因みにわたしたちはインディなゲームが嫌いなわけじゃない。ただそのインディメーカーが日本映画の「天才」監督たちのように「おれのつくったゲームすげぇだろ」感を出してたら、やりますか──という話である。(映画を(強引に)対比するとき、多くの日本の天才監督を、悪例として引き合いにさせていただいております。)

それはともかく、わりと絶望的な状況に置かれているのだが、全編を通じ、ジョエルくん(Dylan O'Brien)が、軽佻に話しかけるので、気分が沈殿しない。悲壮感もある映画内世界に、コミカルなノリ。適度に緊張しながら入り込めた。

ストーリーは、特異だと思う。かつての恋仲だったひとのところへ旅し、さらにそこからも旅立つ。
その道中およびモンスター造形が本筋だが、真意は青年の成長であろうと思う。おそらく、ヒルに吸われるシーンや、スタンドバイミーの挿入は、珍道中をつうじて成長するスタンドバイミーに出典がある──ような気がした。

シェルターのひとたちは、みんな勇敢で、協調性があって、朗らかなひとたちだった。現実的に考えても、末期的状況のシェルター内なら人間関係が総てだと思う。
「食料を盗んだのか?」の件が再三でてくるのは、ジョークでもあるが、要するに、集団生活のなかでは主我(エゴ)を出したら、共同生活は崩壊する──だから食料を盗んだらシェルターから追い出される。とても解りやすいアポカリプス時の規範だと思う。

どんな状況に陥っても、それを扶けるのは、にんげんの良い性惰だと、映画は言いたかったのだと思う。それは、明るさであり、親切心であり、勇敢さでもあるが、とりわけ禍の今(2021/04)、扶け合おうという気概や、明るい面を見なさいと訴求しているこの映画は、タイムリーだと思う。良識ある、いい映画だった。