津次郎

映画の感想+ブログ

密航者(2021年製作の映画)

密航者

3.0
こういった道徳的ジレンマの映画は、映画の実質のクオリティと、ストーリーから感じてしまう気分が天秤にかけられる。
つまり、すぐれた演出演技でも、展開・顛末が引っかかって楽しめない──みたいな事態が起こったりする。

たとえばベンアフレックの初監督作として有名なGone Baby Gone(2007)はまさにそんな映画だった。
手堅い演出力に支えられた高いクオリティの映画なのだが、ラストの主人公の判断が気にくわないとの意見が多く、映画評価自体が割れた。(ただし本来のクオリティを反映してGone Baby Goneは総じて高評価に落ち着いている。)

映画はサスペンスな展開を抜けると、絵に描いたようなきれいな自己犠牲で閉められる。断っておくけれど、映画は悪くない。しっかりとスリルさせ、緊迫する。
でも、なんだろう。ちょっと引っかかる。引っかかるし、見ていて憂鬱でもある。言うまでもないが、道徳的ジレンマだから──である。

この映画のラストに浮かび上がる命題は「誰が行くか」である。
わたしたちの日常には、こんなに明瞭な自己犠牲をおこなえる事象はない。(311のような非常時を除いて)
もちろん、生か死かという大仰なハナシでなくても、是か非か、総てかゼロか、白か黒か、がはっきりとしている事象はない。たいてい自己犠牲の前に、もっと他の方法が見つかる。

そもそも、げんじつでは、映画のようなきれいな極を持っていない。確かで効果的な正義をおこなえる事象が、すくない。物事が混濁していたり、両義をもっていたりする。
それを思ってしまうと、映画内の懸案に、なんか、他に方法あんだろ?みたいな気分がもたげてきてしまう。そのジレンマが道徳的ジレンマに、被さってきて、さらに引っかかる。

また、個人的な印象だが、アナケンドリックは、よく見る人で、出過ぎ感がある。まことに、皮肉なことだが、出過ぎ感を持っているハリウッドの俳優は、いい印象ではない。たとえば配役にマークウォールバーグを見るとまたマークウォルバーグかよ──となるわけ。べつにマークウォールバーグがきらいなわけじゃないが出過ぎ感とは、そういうもの。

で、ケンドリックは、出過ぎ感に加えて、おいしい役だらけ感もある。顔立ちも善良そうな感じ。そうなるとわたしは反って胡散臭く感じてしまう。ことがある。この役もべらぼうに役得過ぎて、なんとなく乗れなかった。

余談だが、個人的に、この映画に乗れなかった最大の理由は、白人が黒人やアジア人を救う──みたいな戦略的なポジショニングを感じてしまったから。
穿った見方かもしれないが、なんとなく、人種間ヘイト問題に介意している気配が見えてしまった。だって、もし黒人が助けていたら、あるいはアジア人が助けていたら、なんか物言いつくでしょ?
だいたい白黒黄あつめているわけだし。ぜったい善良な白人描く腹案あったと思うな。

ただし。ただしである。
これがもし、ほんとにロクでもない人間たちだったら。
みんなで船内で殺し合いしているようなパラレルワールドだってあったかもしれない。
究極の選択には自己犠牲できる人間でありたいし、殺し合いになるなら、とっとと宇宙空間へ身を投げたい。と思った。