津次郎

映画の感想+ブログ

80年代のプロモーションビデオへの懐かしさ ラブソングができるまで (2007年製作の映画)

ラブソングができるまで (字幕版)

4.0
MTVや、小林克也やピーターバラカンがDJをやっていたプロモーションビデオの紹介番組を食い入るように見ていた洋楽厨のわたしに、この映画は刺さった。

80年代のプロモーションビデオは(愛すべき)稚拙や誇張があり、時代を感じさせてしまうものが多かった。
いい曲なのに、ビデオのなかで、アーチストたちは、素人芝居をやっている──そんなタイプのビデオが、山ほどあった。
あのキッチュ感が、この映画やSing Street(2016)にはよくあらわれている。

ただし、曲そのものは、時代を超越している。
ボヘミアンラプソディで、黒背景の陰影のなか、メンバーが仰向いて、下目遣いに歌っている、今や誰もが知っている定番画があるが、もしそれが名曲のPVであることを知らず、なんの前知見もなく見たら「なんだこりゃ。へんな人たちだな」と思うに違いない──わけである。

映画はいずれも架空のアーティストを造形しているが、そのフォルムがとてもリアルだった。
興衰が、誇張されていて、よすがに公園で「地方巡業」のようなことをしているアレックスに哀愁があった。
当時、この映画ではじめてヘイリーベネットを見たが、かのじょが演じるアイドル「コーラコーマン」の造形も、しっかりしたフォルムがあった。
ブリトニースピアーズとミレーヌファルメールとカイリーミノーグを足して三で割って、釈迦に傾倒させたような感じ。有り得る──気がした。

映画は、架空を見せているにもかかわらず(コメディとはいえ)業界のリアリティを持っていた。さらに架空ゆえに映画用オリジナル楽曲をつくって、それをアレックスやコーラの持ち歌にしている──わけだが、それが有り得るクオリティを備えていて、感心した。
日本でいうとNANAみたいなものだろうか。このテの話は、アイドルやアーティスト、さらに彼らの曲を一から創造してしまうに等しい。

基本的にヒューグラントって顔立ちのほかはダサいひとだと思う。だけどそのダサさと弱腰を、うまく恋愛譚に載せると、爆発的に昇華される。その魔法をノッティングヒルやアバウトアボーイやラブアクチュアリーや本作でも見ることができる。

むかし洋楽ではブリティッシュインヴェイジョンという言葉があった。ビルボード(など)のヒットチャートをイギリス勢が占めてしまう現象をそう呼んだが、何度かあり、しばしばおこる現象だったが、一般にはWham!(ジョージマイケル)が流行った80年代の潮流を指している。

思うのだが、ヒューグラントは映画界のひとりブリティッシュインヴェイジョンだった。もちろんハリウッドで成功したイギリス俳優なんて幾らでもいるのだが、グラントはとてもイギリスらしい。そのニュアンスはわかると思う。還暦(2021現在60歳)になったが、ハリウッドでアメリカ人に囲まれているヒューグラントを見るたび、わけもなくがんばれ!と思う。