津次郎

映画の感想+ブログ

ばるぼら(2019年製作の映画)

1.0
人を生かしめる才能のひとつに生まれがあると思います。それは正に才能です。
わたしたち庶民は、生涯を通じて、生まれも才能のひとつである──ということを、どうにか呑み込める寛容を持てるにんげんになれるように努力を重ねています。

このひとが監督した星くず~を見たことがあります。また他に、タイトルも内容も覚えていませんが、メディア化されているものを1本か2本見た記憶があります。わずかな鑑賞履歴にもかかわらず自信を持って断定しますがこのひとには映画監督の才はありません。が、すべてのぽんこつをスポイルする偉大な父親をもっています。それは正に才能です。

で、繰り返しますが、生まれも才能のひとつである──ということを、どうにか呑み込める寛容を、──と言うわけで、キムタクの娘をディスりたくなるようであれば、にんげんとして、まだまだ青いのです。

ゆうめいな舞台演出家の娘さんもそうですが、ぽんこつがスポイルされるのみならず、天才と呼ばれています。日本映画界も権威にたいする忖度で成り立っています。iocもwhoもノーベル賞も、すでにさまざまな世界的権威が、たんなる利権だと判明した今では説明しやすくなりましたが、もちろん日本映画界もばりばりの利権です。映画批評してお金がもらえるならば、わたしの飼っているハムスターだって映画評論しますよ。

ようするに、つくる人も評する人も全員が結託して映画ごっこをやっているのです。あ、これ「映画化不可能と言われた!」って言われちゃうヤツだ。すげぇなあ。やっぱ血は争えないもんだなあ。ジャズの狂騒的なひびきがカッコいいし。──と寛容をもって忖度すべきところです。

ですが、本作を見れば誰もが、想像をはるかに上回る酷さに絶句し、寛容ではない、じぶんの青さを思い知ることになるでしょう。われわれは、まだまだ修行が足りない──ということです。
しかし、いくら忖度とて、これを褒められるのは秘宝やキネマに群がっている俗物しかいません。
巨頭で寸胴で短足でリーチの短い男──だけど会長のご子息が、ボクシングジムにやってきて、ボクサーになりたいと言った。そんなかれを、世界チャンピオンだともてはやした結果、嬉嬉としてパンチングボールを叩いている。──みたいな裸の王様映画。
息子みずから手塚先生を汚す──いうなれば恩を仇で返す怪作。0点。

(映画なんて嫌なら見るな──ですが、このようにふざけたのが、まあいいじゃないですか風の評価のなかにあると、酷評レビューで突撃したくなり、毒づきながら見ます。それによって、本作は「持たざる者たちが歯ぎしりすることでいくばくかの発散ができる映画」としての価値を備えます。映画の愉しみ方はいろいろです。)

余談ですが「映画化不可能と言われた」は世界では80年代からすでに死語です。とうぜん使っているのは日本映画界だけです。