津次郎

映画の感想+ブログ

キングダム: アシンの物語(2021年製作のドラマ)

キングダム: アシンの物語

3.0
東京でオリンピックをやっているのだが、韓国のニュースがまいにち一個はかならずある。
韓国は映画やアイドルなどのエンタメビジネスによる世界の認知がある。
が、モラルやスポーツマンシップの欠如で、しばしば問題になる。
日本は目のかたきにされ、ことあるごとに、なんくせをつけられ、ニュースにあるような低俗ネタを、飽くことなく仕掛けられる。選手村の食事ボイコットとか・・・コドモかよ。ホントうんざり。

だが、日本叩きはかれらの外交カード。永遠につづくだろう。

ところが、わたしは映画に関しては、常日頃、日本映画を貶しまくっている。
韓国映画を褒めることが多い。

どんなもんだろう。
とりわけ政情にきょうみもなくネットフリックスをながめている多くの一般庶民たちも、韓国にたいして好感──日本が叩かれても、揺るがない好ましさを保持している──のではなかろうか。

やはりエンタメの効能だと思う。
映画やドラマやアイドルを補完し、ポピュラリティを持続することが、どれだけ国際社会を生き抜く資産になりえるか──を韓国はしめしている、ような気がする。
(だから日本もいい映画つくらなきゃいけないと思うのです。)

きらいとすきが混交しているこの矛盾にみちた状態を、どうすればいいのか、多少は考える。
エンタメに罪なし──とは思っているが、現実世界では日本人としての態度でありたい。(なんて偉そうだけど、ほんとに)

さて、本作はゾンビ時代劇ノワール。外伝もしくは続編の位置づけで、前篇にもおぼろげな記憶がある。
非情の描写が迫真で、お金もじゅうぶんにかかっているが、わりと淡泊。引き込みが遅い。が、成人してからは興味深い復讐劇へ変容した。単体でなく続き物として期待・評価したい。

いつも思うが、庶民の汚し方がうまい。着衣や顔にダメージとリアリティがある。日本の時代劇でもこの汚し方ができればと(いつもながら)思った。またアシンは、われらが青春のチョンジヒョンだった。ほんとに久しぶりだが、変わってなかった。

とくにこの映画で気づいた──というわけではないけれど、韓国映画は弱者描写がとても巧い。
日本映画では弱者描写がとても臭い。

日本映画が弱者を描くとお涙頂戴になる。しかし、韓国映画は虐げられた貧民層の描写が巧いゆえ──長年にわたって圧政に屈してきた者が復讐を果たす──みたいな展開が、とても決まる。
映画で弱者・被害者を描くのがうまいってことは、現実で弱者・被害者を装うのもうまい。かもしれない。