津次郎

映画の感想+ブログ

男たちの挽歌(1986年製作の映画)

5.0
チョウユンファってひとはパッと見、あきれるほどウソくさい。映画の序盤はホーとマークの絶頂期だが「オフコース」とか言っちゃうマークの軽さ。上機嫌がフラグとはいえ軽薄すぎる。

が、出所後堅気なタクシー運転手として頑張っているホーがぐうぜんマークを見つける。そこから邂逅にいたる地下駐車場のシーンを涙なくして見ることはできない。あんなに意気揚々だったマークが粗末な身なりをして補装具をつけびっこをひいている。肩にしたウエスで迎車のフロントガラスを拭くとシンが飯代だと言って無造作に札を放る。札をひろい駐車場の隅で得体のしれないべんとうを食べる。そこにあらわれたホー。茫然として口から食い物がこぼれる。ここで何しているんだと案ずるホーに「3年待ったんだぞ3年!」と声を張り上げる。マークはそんな姿になってまで、シンの下僕になってまで、ふたたびホーと挽回する野望を失っちゃいなかった。──のだった。

おそらく涙なくして見ることはできない──にご賛同いただける白眉だと思うが、その一方でジョンウーは娯楽映画について考えさせた。
個人的にマフィア・ギャング・ノワール系映画を好んで見たいと思うことはない。深作に傾向する──など、暴力的な映画に男っぽさを感じるのは、タバコを吸うことや、酒が飲めることがかっこいい──と同等の稚気だと思う。(ことがある。)

もちろん映画を誰がどう見ようと勝手だが、映画が魂を持っている──そう捉えることが日本映画のつくり手にはある。日本の観衆にも多少ある。(と思う。)要するに根性論だ。

しかし本質はちがう。映画はの良し悪しは脚本と技術によって決まる。魂も気持ちも思い入れもまったく関係ない。

本作の面白さはジョンウーが多数の共感を集められる絵づくりをした──ってだけのこと。かんぜんにテクニックの話。たんじゅんに心躍らせた初見から、次第にそんなことも教えてくれた映画だと思っている。