津次郎

映画の感想+ブログ

ねずみが最強 ザ・スーサイド・スクワッド "極"悪党、集結 (2021年製作の映画)

ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結(字幕版)

4.0
スーサイドスクワッドが感動に昇華されるとは思わなかった。──が正直な感想。

エンタメが観衆にあたえる印象はそれぞれ帯域幅をもっていると思う。恐怖ならホラーだが笑いを加えるとホラーコメディになれる。恐怖/笑い/エロティシズムは相互に合わせやすいチャンネルをもっているから、それらの複合に驚きはないが、恐怖と感動はどうだろう。アニーシュチャガンティ監督のRUN(2020)を見たとき、じぶんはふるえるほどの感動をおぼえた。が、そういう映画は稀だろう。

スーサイドスクワッドがどんなものか(だいたい)知っていると、本作を見るまえの想像としても、前半部の展開としても、Harshな感じのブラックユーモアをつらぬき通す──ように思える。

ところが暴れまくる巨大ヒトデに万策つきて、もうおしまいって時、ラットキャッチャー2のクレオが「このまちはかれらのものだ」と言ってコントローラーを掲げ、抒情なBGMがかかって何万ものネズミがスターロに襲いかかる、とともに、街を見下ろす塔頂に腰掛けた父娘ふたりの回想が挿入される。
「なぜネズミなの?」
「このせかいの底辺でもっとも嫌われている生き物だ、でも生きてる、おれたちみたいだろ」

不意の感動だった。そのとき、テンションが低くて病的にしか見えなかったクレオ役のDaniela Melchiorがひときわ輝いて見えた。のだった。
つまり、この映画は人を食ったようなアメコミ世界を展開しながら最終的に「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と言っていた──のだった。
ハリウッド映画のなにがスゴいのかといって、想定していなかった印象を観衆にあたえてしまうこと──ではなかろうか。

世の映画はざっくりの分類においてブロックバスターとアートハウスに二分される(と思う)が、じぶんは以前マーベル系映画(ブラックウィドウ)のレビューにこんなことを書いた。

『さいきん海外のブロックバスターを見ながら「もはやブロックバスターもアートハウスもないな」と思うことが多い。エンドゲームなんか特にそうだった。ようするに、大衆的な娯楽映画が、アートハウス以上の深い心象を語り得てしまう──わけである。
またガーウィグのLittle Womenなどはアートハウスの側から、ブロックバスターに寄せ、それを成立させていた。

で思うのだが、アートハウスの作家──たとえば河瀬直美(引き合いにしてすいません)のようなアーティスティックな人たちは、じぶんは違うってことをアピールしていけるのだろうか。日本映画全体と言ってもいいが、なんかもう海外とはぜんぜんちがうことやってる気がする。』

さいきんのじぶんの鑑賞履歴に限られた物言いになってしまうが、レベッカホールのPASSING白い黒人やマギージレンホールのロストドーターやエリザヒットマンの17歳の瞳に映る世界・・・。──メジャー作品ではない映画は、たんに視点や予算がことなるだけで、アートハウスを気取っているわけではない。マーベルの新作エターナルズ(2021)は未見だが、監督に抜擢されたのはノマドランドのクロエジャオである。ようするに「もはやブロックバスターもアートハウスもない」わけ。

牽合な日本映画への悪態はいつもなので割愛するが、海外にはもうアートハウスでございます──な体の映画はなく、したがってザスーサイドスクワッド“極”悪党集結(2021)に感動してしまった──は恥ずかしいことじゃない。おれなんか泣きそうになったもんね。