津次郎

映画の感想+ブログ

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2(2011年製作の映画)

4.0
世界じゅうで何億もの人々に愛されているシリーズ。
ぜんぜんきょうみなくて、生まれて(50年経って)はじめて見た笑。

Yesterday(2019)のラスト。
“ジャック”が迷い込んだ世界にはビートルズがない、だけじゃなくハリーポッターもなかった。

このレビューはハリーポッターがないパラレルワールドの住人のレビューといって差し支えない。
じぶんは、ハリーポッターについてまったく知らない。cleavageを強調したリンジーローハンがでてくるSNLしか見たことがない。

ほんとにまったく知らないゆえ、周知の事象を「発見」のように語ること、誤解や曲解、見当違いや意図しない冒涜がある──にちがいない、ことをあらかじめおことわりしておきます。

いちばん最近の映画を、と思って選んだ。U-NEXTで199円だった。が、選んでから「後編」であることに気づいた。映画は途中からはじまった。ハリーポッターを知らないわたしにとってレビューがさらに困難になった。が、そのまま「さら」で見た。

魔法学校の話であろう。ハリーポッターらは学校の不正(かなにか)に反旗をひるがえし生徒達の希望の星となっている様子。

魔法使いの杖といえばスタッフを想像していたが、映画はいわゆるワンドを杖と呼んでいて、杖自体に意思があることが伏線される。懐かしいジョンハートがそう言った。ん、マギースミスがいるぞ。アランリックマンもデヴィッドシューリスもいるぞ。鼻もげはレイフファインズぽいな。イギリス人ばかりだな。てことはハリーポッターはイギリスの作品にちがいない。

魔法はワンドの振りかざしと宣言によって発生。その愚直なかんじがよかった。麻痺せよ。服従せよ。こなごな。光を。最上級はアブラカタブラに似ているけれど微妙にちがう殲滅呪文。続き物らしい固有名詞と回想がつぎつぎに出てくるが、どんどん佳境は迫ってくる。ハリーとその仲間たちは絶体絶命だった。が、最後は杖が使い手を拒む。善良で無敵の杖だった。

その大事な杖を折って捨てたのは、巨悪をたおしたのは、友情や愛情や信頼であって、魔法の力じゃないというメッセージだったにちがいない。“僕ら”は魔法の力に頼ることなく人間らしく生きていくんだとステートメントした──わけ。さすが5億冊超。しっかりしたジュブナイルの体裁があった。

ラストシークエンスはみんなが成長した19年後。結婚し子供ができて、魔法学校に我が子を見送るハリーたち。親から子へ伝承されていくこと。

世の中は多様性が言われているし、バツで子供もいないわたしが言うのもなんだが、にんげんの幸福は、基本的に、結婚し子供をつくってしあわせに暮らすことだと思う。否定するならわたし/あなたはこの世に生まれていない。そういう普遍的な徳育がこの物語にはあると思った。