津次郎

映画の感想+ブログ

声優選びに疑問あり 竜とそばかすの姫 (2021年製作の映画)

竜とそばかすの姫

3.3
細田守は宮崎駿や新海誠にならぶすぐれたアニメ作家だと思っていますが声優の配役には多少疑問がありました。

わたしは田中裕子のエボシ御前や美輪明宏のモロ小林薫のジコ坊、木村拓哉のハウルも倍賞千恵子のソフィーも敬愛していますが、細田守のばあい、声優を専門職としていない人の起用に理念がない感じがするのです。

じっさい未来の星野源やバケモノの染谷将太はへただったと思います。むろん役者がいけないのではなく、あててるキャスティングがいけないと思います。

声の演技は音質からコントロールまでプロフェッショナルがやってこそのものだと思います。専門的訓練を積んでいる声優と役者はかんぜんに別物だと思うのです。

それを承知した上で宮崎駿はプロパー外から配役しました。で、録音時、逐一注文をつけていました。じぶんは前、もののけ姫のレビューにこう書きました。

『昔もののけ姫のメイキングを見たことがあります。今もたぶんネットにあると思います。そこにレコーディングの様子がかなり詳しく撮ってあります。宮崎駿が配役者にいろいろ注文をつけながら声を吹き込む、とても興味深い映像です。おそらくご覧になった方も多いと思います。

その様子はもののけ姫のレジェンダリーなキャラクタライズを裏付けるものでした。

宮崎駿が最終的に納得するセリフは、細かい注文──たとえば「もっと強く」や「もっと弱く」、「ちょっと強すぎる」や「ちょっと弱すぎる」──などによって、調整されます。じっさい、それによって田中裕子のエボシ御前がみごとに創りあげられる行程を目の当たりにすることができます。

でも、宮崎監督は美輪明宏に同様の注文──「強く」とか「弱く」を言いませんでした。美輪明宏はアーチストなのであり、且つ年上です。そのことに対する尊重が、宮崎駿の態度からありありと見えました。乙事主の森繁久弥はもっと上ですが、森繁久弥に対する尊重とは違う尊重だったと思います。

そこで「強く」や「弱く」を使わずにセリフを調整するために、宮崎駿は別の言葉で美輪明宏に注文をつけました。
それが「モロと乙事主が昔好い仲だったことがある」です。私にはその注文が美輪明宏の年功や無二のアーチスト性に配慮した「もっと弱く」だと思えました。
実際には無い裏設定を使って、宮崎駿の理想へと、美輪明宏の声を「操作」したわけです。

この後の宮崎映画においても、これと同等のレコーディングセッションが行われたであろうことは容易に想像できます。だから宮崎駿がたびたびプロパーの声優を使わずに、俳優を充ててくることに、安易さや不審を感じません。方法論として受け容れることができます。

ただし、声優を使わないで、人気俳優などに声を担当させることが、宮崎駿以外のアニメ映画でも、潮流のようになっている気配があります。
やはり、それをするなら、宮崎駿の理想が持っていたような、そうすることの絶対的な根拠が欲しい──
あらためて観て、それを思ったのです。』

本作でもやはり配役に疑問を感じました。主人公からしてふつうにへたでした。聞こえにくさもありました。とうぜんですが声優をつとめた方がいけないのではなく、やっぱりあててるキャスティングがいけないと思います。

この映画のばあい主人公が歌姫の設定ゆえに、プロのシンガーである中村佳穂をあてたと理由づけることができますが、いやいや、主人公が歌姫なら、なおさらプロの声優をあてるのが合理だと思います。いったい歌を兼業している声優がどれだけいることでしょう。わたしならもっとうまくやれたとはぎしりした声優が何十といたにちがいありません。

声優としては素人の中村氏を使うことで、自信のない鈴と、自信に満ちあふれたベルを演じ分けた──と肯定的にみることもできる、かもしれませんが、ぎこちないしゃべりと、リアルなぎこちなさを感じるしゃべりの演技は別物だと思います。

根拠はたとえばゲド戦記の田中裕子です。あんなに素晴らしかったエボシ御前がゲド戦記ではなにを言っているのかさっぱりわかりませんでした。とうぜん田中裕子がいけないわけではありません。もののけ姫の録音風景にあったように声優でない人を使うなら演技に対して詳細な注文が必要ではないでしょうか。それこそが理念だと思うわけです。

また、おおかみこどもの雨と雪の英語吹替版を見たことがありますが、あの(すごくウザい)子どもたちのうるささが気にならずストーリーに入り込め、日本語版よりずっとスッキリした印象でした。

何も知らない素人のわたしが言うのもなんですがアニメをつくっている人がキャラクタの声に無頓着なのが不思議です。もったいなさを感じるのです。なんでこんなにすごいアニメつくっているひとが、雰囲気で声あてちゃうのかなあ──不思議でなりません。

映画は日本の地方の牧歌てきな景色と、華やかでヴィヴィッドな仮想世界が、交互に描かれます。朴訥な高校生ときらびやかなベルが入れ替わり立ち替わり出てきて、絵的にすごいアニメでした。

が、個人的には弱者主張が強すぎると思いました。善悪がたんじゅんすぎる気がします。当初竜は加害者ポジションで登場しますが、話が進み位相をずらしてみると被害者になります。鈴や竜が被害者になってみると、そこからは被害者/弱者主張が臭い感じがしました。ジャスティンなんてただの破壊者です。もっとキャラクターに両義性があってもいいと思いました。

しかし鈴の決意は象徴的でした。わたしは匿名の蓑に隠れていなければ、映画レビューさえ書くことはできません。竜とそばかすの姫はネットとそれをとりまくネット民とをカリカチュアし、その欺瞞とほんとうの勇気を描いていたと思います。
映画は、だれかを守ろうとすることで世界は変わらないけれど世界を変えるのはちいさな優しさから。──を伝えます。さわやかでした。