津次郎

映画の感想+ブログ

若い女と老人の友情コメディ ムッシュ・アンリと私の秘密 (2015年製作の映画)

ムッシュ・アンリと私の秘密(字幕版)

3.5
パリで間借りする若い女。
家主の老人から(嫁が嫌いなので)息子夫婦を別れさせたら賃料を値引くと持ちかけられ、家主の息子を誘惑することになる。
女と家主は不穏当な動機で同居することになるが、一緒に暮らす間に、お互いの欠点を補修していく。

家族よりも、他人のほうが真理が見える──という定理に、女と老人の間に芽生える友情を描いたコメディ。

客観的にみると八十路の男と若い女のシェアハウスになるが、ふたりに男女の気配はない。別れさせるために誘惑する──という設定には無理感もあったが、さわやかなコメディになっていた。

懐かしい顔だがどこ(どの映画)に出ていたか挙げられないブラッスールはこの映画内でも亡くなって、2020年にほんとうに亡くなった。

彼(家主)は、最終的には自身の我を抑えて、若い者の可能性を扶ける。その哀愁には打たれるものがあった。

今後わが国はますます老齢者だらけになる。
ゆえに老齢者が自身の我を抑えて、若い者の可能性を扶けるひつようがある。
この星(地球)で最も老齢者が多い国日本。──だからこそ、の課題だと思う。

ネットコメントにじぶん語りというのがある。
壮年以上のひとがよくやるやつで、典型的なのはいじめや体罰や虐待報道などに「おれもむかしやられてた」と頼まれてもいない過去を披瀝するやつ。

秀岳館サッカー部の暴行事件報道にも「むかしはふつうだったぞ」みたいなコメントが湧いていた。

コメント欄に突然あらわれるこれらの「人生のセンパイ」のじぶん語りのもくてきは、とうぜんマウントをとることにある。

「むかしはふつうだった」からおどろきはしないし「おれもむかしやられてた」から「鍛えられた」と展開し、だから君らより偉いんですよ──と優位をとりにくる。

言うまでもなく、この種の大人の最大の勘違いは、幼少や若いころ誰かに殴られていたことによって自分が鍛えられたor強くなった──という誤解に他ならない。

親や先生や先輩や指導者や上司に暴力をふるわれたこと──は、わたし/あなたを強くしない。ぜったいに。

畢竟そんなことすら解らない人がじぶん語りをする──という構造を知っているならじぶんガタラーの愚かしさが判る。そもそも匿名を隠れ蓑にウソを言っているだけかもしれない。

だいたいにおいてネットのコメント欄で自慢話をする老輩がリッパなにんげんだと思いますか?

現代、昔と違うのは、老輩が若輩よりもかしこい──という事象が、成り立たないことだ。きょうび姥捨山のロジックが意味を為さない。

じぶんが幼いころ(いまから40年以上前の昭和期)の老人には師のようなおもむきがあった。たとえばバスや電車で騒いでいる輩を一喝して黙らせるような老人がまだ存在していた。

しかし人生の手本となるような大人や老人は今、ひとりもいなくなった。

飲食店で働いていたころ、バイトにたいして「おれよりかしこい」と思うことがよくあった。10代でも苦労していて「おいおいおれより人生経験積んでるじゃねえか」と思うことがけっこうあった。

まっとうな大人はじぶんより若い人を見下さない。かれ/かのじょがじぶんよりかしこく、じぶんより人生経験をつんでるかもしれないからだ。たとえそうでなくても、見下す権利などないからだ。

秀岳館のような教員or学校の体制の問題は常にあり、明るみになると世間の注目を集める。学校の事件というものは、どれを見ても浅はかで不可解だ。

何度か言ったことがあるが、教員がバカなのは、かれらのほとんどに就労経験がないから。
それにつきる。

学校教師はたいていのばあい、社会で働いた経験がないかわずかで教師になる。働いたことがないやつが学生を教えている──わけ。そんな構造に健全性なんかあるわけがない。

いみじくも飲食店でいっしょに働いていた10代のアルバイトたちに当時40代のわたしは負けていた。そうやってじぶんが粉砕された経験がない者が若い人に何かを教えられると思いますか?

学校体制に抜本的な改革を──というなら、たんに教員の条件に5年超の就労義務を設ければいいだけの話。そこが改革されない教育/学校論は総て完全に無意味だろう。

これからの時代、年老いた人間にとっていちばん大事なことは黙って死んでいくことだ。冗談ではない。この惑星でもっとも老人が多い日本では、まちがいなくそれがいちばん大事なことになるだろう。
たんに象徴的だから引き合いにするだけだが黒柳/関口/田原/和田・・・老いたらその席を若い人に委ねるのがあるべき大人の姿だとわたしは思う。
本作のブラッスールのように自分自身の我を抑えて、若い者を扶けてあげることができたら一つの完成形だろう。

ヴェルヌイユの名画に冬の猿(1962)というのがある。
なんとなく似ていた。