津次郎

映画の感想+ブログ

N某党みたいな ゴヤの名画と優しい泥棒 (2020年製作の映画)

3.6

「ノッティングヒルの恋人」のロジャー・ミッシェル監督の遺作と紹介されていた。
検索したら没年月日が2021年9月22日となっていて、ミッシェル監督が本作について語ったインタビュー映像をみつけた。

『主人公のケンプトンはニューカッスルの住人でタクシーの運転手だったが失業して“活動家”になった。
偏屈な典型的イギリス人で、ある社会運動をはじめる。
年金生活者へのテレビ受信料の無料化だ。
街頭で演説して署名をあつめるが運動は行き詰まる。
受信料の支払い拒否によって投獄もされる。
そこで彼はナショナルギャラリーから絵画「ウェリントン公爵」を盗み出す。ナショナルギャラリーで盗難なんて前代未聞の出来事だ。
彼は盗んだ絵画を“人質”として自宅のタンスに隠し、匿名で新聞社と政府に返却条件を書いた奇妙な脅迫状を送る。
「慈善事業に寄付すれば絵画を返す」という内容だった。(後略)』
(ネットにあったミッシェル監督のインタビュー動画より)

実話にもとづいておりBBCに対して無料化を求める件から、今話題のN某党を思い浮かべた。

ただ映画は権力に抗う庶民の構造をもっているものの、時代背景が1961年であることに加え、そもそもミッシェル監督が笑いとペーソスの作家なこともあり、社会性は副次的な扱いになっている。

にしても映画はN某党をほうふつとさせた。

インタビューにもあるとおり、主人公ケンプトン・バントン(Jim Broadbent)は既得権益(受信料の支払い)に抗って捕まり投獄される。出所後も高齢者からの受信料徴収を止めろと懇請しながら社会運動するが、妻にも叱られるし、世間からも変人扱いされるだけ。そんなとき息子がナショナルギャラリーからゴヤの「ウェリントン公爵」を盗んでくる。

そこでバントンが画策したのは、絵画の時価14万ドルを銀行に預け、利子で3,500戸分の受信料を賄うことだった。善良性が陪審員を説得させ、絵画の額縁以外の窃盗が無罪放免となる。そんな粋な裁量がなされるいい時代だった、わけである。

現代ならどうやるだろう。
権力とたたかうなら正攻法は無理。だから“絵を盗む”ような奇策にでるしかない。きれいごとでは、やられてしまう。だから折衝を逐一動画や音声に残して、拡散させる。あるいは、権力者の醜聞を暴露して浄化する。・・・。

『ケンプトンは謂わば悪ガキで、英雄とよべる人物じゃない。娘の墓に供える花も盗むような男だ。トイレットペーパーもくすねている。ネルソンマンデラみたいに清廉潔白じゃない。でも憎めない男だ。(中略)
ケンプトンは不朽の活動家だと思うね。ああいった人物はどの世界でも必要なんだ。常に権力に立ち向かって、すべてに疑問を投げかける人間がね。』
(上同インタビュー動画より)

時事だから余計にそれを感じたのかもしれないが、映画はじっさいN某党のようなものを描いていたと思う。とくに党首にも増して今話題の暴露系配信者。世間の向かい風も激しい。

よくある皮肉に──
「かれを支持している中核層は40、50代のおじさんであり、じぶんの失敗した人生を悔やむあまり、一文無しから短期間で国会議員に成り上がったダークヒーローに、じぶんを投影し、せめてもの慰めとしている。」
──というのがある。

そのとおり。わたしはじぶんの失敗した人生を悔やんでいる。悔やんでも悔やみきれない。そんなところへあらわれた黒いおっさんがバタバタと既得権やいけすかない有名人を切りまくっていくではないか。・・・。

毒をもって毒を制す──非倫理でも、権力という巨悪に対抗するなら、ありだ。

だいたいにおいて、いわゆる“普通”の候補者は当選してもいい働きをするのかダメなのかが解らない。彼/彼女がたんに1,500万の国会議員給与を目的としているのではないと見定める根拠はなにもない。それならば醜聞を晒すと脅しまくる、悪党を政治家にして、なにが問題だろう。無用な有名人にセカンドキャリアを与えるよりよっぽど有益だ。

選挙が毎回、体制側にまた一人加勢させましょう──の様相になっていないだろうか。政治家選びはわたし/あなたの友達選びじゃない。外も内も悪党のほうが、行儀良く真面目そうに見えながら実は悪党──という所謂“普通の政治家”よりはるかに期待できる。──という話。

ところで、じぶんは政治の話はぜんぜんしていない。知らないし、できないし。無力な庶民として、強権が崩れ落ちるのを見るのが愉快だという話をしている。つまり、いささかも思想や主義主張を表明せずとも、またそんなものが一切なくても「権力に一矢報いる」という基準で判断するとき、ドバイ潜伏中の国会議員はかんぜんにありだ。

なおエンドテロップには「2000年、75歳以上のテレビ受信料は無料となった」とあった。