津次郎

映画の感想+ブログ

ずっこけなちーむ 355 (2022年製作の映画)

355(吹替版)

2.0
巨大なプロダクトのばあい、監督の力量が補完されるような気がしていた。
つまりアベンジャーズとかスターウォーズとかバットマンなどの大作映画には凡打がない。それは大資本映画では“ハリウッドシステム”のような作用がはたらいて監督の力量不足が補完されるからだ──と思っていた。

じっさい“ハリウッドシステム”(=整った映画製作環境)によって補完される映画もあるだろうが、はずすこともある。
X-MENダーク・フェニックス(2019)はコケていた。大資本映画でコケていたゆえに監督のサイモン・キンバーグを覚えていたw。だから本作が気になって見た。

やっぱコケていた。
imdb5.4、RottenTomatoesが24%と86%。
RottenTomatoesで批評家が下げて、一般が上げるのはブロックバスター。批評家が上げて、一般が下げるのはアート映画。
これはもちろん前者だが乖離しすぎだろう。この大きな“溝”は本作がグローバルなオールスターで釣っていることにある。
すなわち“86%”を支えているのはジェシカ・チャステイン、ペネロペ・クルス、ファン・ビンビン、ダイアン・クルーガー、ルピタ・ニョンゴ。
じぶんもルピタ・ニョンゴに釣られた。

すごい大味な映画。
また、壊し過ぎ、ころし過ぎ。
以前も言ったことがあるが、追いかけっこをするとき、道々の構造物を倒して追っ手を妨害する描写がアクション映画にはつきもの──である。その際に庶民生活を破壊しながら奔走するのが個人的に好きじゃない。映画のなかでは一秒にも満たないカット内でモノが四散するのだが露商にとってはそれが全財産だったりする。要するにそんな逃げ方をしてりゃ“正義”を体現できない。つまり庶民生活を蔑ろ(ないがしろ)にするならヒーローorヒロインとは言えない。
端役の命にもおなじことが言える。簡単にころす/ころされるのは迂闊な描写なのだ。

が、それを譲ったとしても退屈すぎた。
『批評家の一致した見解は「スターキャストでコンセプトも先進的だが、『355』はその全てを無駄遣いし、すぐに忘れてしまうような平凡な語り口の物語になっている。」となっている。』
(ウィキペディア、355 (映画)より)

また、同ウィキには『タイトル及び作中のスパイチーム名の「355」とは18世紀のアメリカ独立戦争時代に実在したパトリオット側の女性スパイエージェント355にちなむ。』とあったが、そんなご大層な引喩をもってくるような映画じゃない。不節操、御都合主義に加え、まったく肉体派じゃない女たちがエクスペンダブルズみたいなタフガイを演じている姿が違和感はんぱなかった。
口直しにオーシャンズ8をお薦めします。

なおファン・ビンビンにとって脱税疑惑で雲隠れ(2018)した後はじめての仕事だったようだ。
余談だがじぶんは今でもときどき「ごはんの幸福・ラーメン篇」を見る。