津次郎

映画の感想+ブログ

ちゅうけいさん 大河への道 (2022年製作の映画)

大河への道

5.0

かつて花のあと(2010)のレビューにこう書いている。

『中西健二監督はなぜかwikiもない映画監督ですが青い鳥という名作を撮っています。青い鳥ゆえ、ググったときぞろぞろ違うものが検索されそうなタイトルに難はありますが、個人的にはカルトだと思います。
この映画と青い鳥を見ると中西監督の秀でた演出力が解ります。主張はしませんが堅実で丁寧なのです。』

2022年になっても中西健二のwikiはなかった。

日本映画界には堅実な商業映画が評価されないという謎現象があるが、とりわけ不思議なのはキャリアがTV畑の映画監督がプライズやニュースの対象にならなくて、かならず映画畑の映画監督がもてはやされプライズやニュースの対象になる。──という現象。

たとえば罪の声の土井裕泰監督も、祈りの幕が下りる時の福澤克雄監督も、HEROやマスカレード~の鈴木雅之監督も、真夏の方程式の西谷弘監督も、踊る大捜査線の君塚良一監督もテレビ局職員もしくは経歴に占める比重がテレビ寄りの監督である。

そしてそれぞれの映画を思い浮かべてもらえばわかるとおり、日本の代表的な映画監督であるとマスコミに称揚されている園子温とか蜷川実花とかその他諸々よりも、はるかに演出技量が優れている。

にもかかわらずテレビ畑の監督は名が売れずプライズ対象にもならない。アンフェアがまかりとおっている。

中西健二監督はテレビ系監督ではないかもしれないが、卓越した技量のわりに名の押し出しがない点においてその気配がある。つまり“職人型”なのだ。

天才でなければ訓練されていない者に機会はない。文筆も絵画も音楽も料理も舞踊も、芸道には練習がつきものだ。日本映画界やマスコミは未熟者を称揚するのをやめるべきだ。天才(黒澤や小津)じゃないなら“職人型”が監督の前提であってほしい。

──

この映画のポイントはいくつかあるが、基調に中年を激励する意図があると思う。

寿命がみじかかった過去にありながら伊能忠敬は73歳まで生きた長寿者だった。
地図をつくりはじめたのは50歳を過ぎてから。しかもただちにつくりはじめたわけではなく、50歳を過ぎてから(天文学などの)地図のつくり方を学びはじめた──のだった。

(江戸時代の寿命を)おおむね今よりもマイナス20~30歳の寿命と考えたとき伊能忠敬の73歳は現代人の100歳に相当する。

現代人の人生は100年。ゆえに50歳を過ぎた人々に「まだはじまったばかりだぞがんばれ」とこの映画は言っている。

それはうがちすぎではない。

池本(中井貴一)が最後に「わたしが書くから脚本をおしえてくれ」と加藤(橋爪功)にたのむのは艾年or還暦にあっても意欲をもって生きていく気概のあらわれだった。なにより、何事もがんばってやるんだ──っていう意気が、中間管理職を演じた中井貴一の態度と表情にあらわれていた。

伊能忠敬のすごさは「伊能図とランドサットから見た日本列島」でわかる。加藤がその前に佇んで「200年前に・・・こんなものどうやって」と言うのだが、じぶんもそう思った。
日本じゅうをくまなくあるいて地図をつくる。あるのは足。伊能隊。歩幅。製図に向かない筆。足袋。不屈の信念。・・・。

『日本を植民地にできるかもと思ってやってきたイギリスなんかあの地図みてびびってやめたんだから』(加藤)

伊能忠敬や高橋景保がいなかったら日本の歴史は変わっていたかもしれない。

──

中井貴一が自治会のゴミ網(カラスネット)の綻びを補修するやるせない管理職を絶妙に演じた。新世代らしい軽さを出した松山ケンイチもじょうずだった。北川景子がきれい。志の輔にも味があった。

演者もいい。台詞もいい。演出もいい。安心して見られる職人型映画だった。