津次郎

映画の感想+ブログ

Fasting girl 聖なる証 (2022年製作の映画)

聖なる証

3.9
16世紀から20世紀にかけ英国で定期的にFasting girl(=断食少女)というものが現われたそうだ。

何ヶ月も食べていないと主張する少女およびその家族のことで、目的は教区からの寄付や恩恵にあずかり家計を潤すことにあった。

こんにちでも子を脅迫して学校に行かないというマーケティングをしている親がいるし、環境活動をやらせて巨財をきずいたスウェーデンの少女とその親もいる。

それらを顧みれば暗黒時代にFasting girl詐欺が横行しても不思議はない。

ただしキリスト教がやっかいでおそろしいのは食べずに生きているという与太話に猶予が生じるところ。

そもそもがFasting girlを擁立する一家の最終目標はバチカンのような高位のところから奇跡認定されることだ。食べずに生きられるのは神聖さのしるしと見なされる。

つまり中世キリスト教世界ではFasting girlが「もしかしたらほんとかもしれない」と勘案された。だからこそ定期的に彼女たちが現われた──わけである。

何人かのFasting girlが後世に伝えられていて、その伝承にもとづいてアイルランド系カナダ人作家のEmma Donoghueが2016年にThe Wonderというスリラー小説を書いた。

それをチリの監督Sebastián Lelioが映画にし、Netflixに乗り、聖なる証と邦題された。──のが、これ。

──

4ヶ月も食べてないと主張する少女とその家族があらわれ、教区がその審判員として修道女と看護人を派遣する。交代で二週間少女を観察せよとのお達し。──。

ところが信心深い一家は騙り(詐欺)を目的としておらず、断食とそれによってもたらされる死を試練ととらえ、当人さえも殉教を望んでいる。
それが映画の格調をあげ、テレーズやヨアンナのような宗教気配もあった。

が、非科学的な親が少女をみごろしにする話になっているので、立脚点は宗教サイドではない。むしろベルイマンのような「神の不在」映画といえる。

あまり明白にはされないが、アンナ(Kíla Lord Cassidy)は亡くなった兄から性的に玩弄されており──それを見とがめた親が兄を責めた結果、なんらかのかたちで兄は世を去る。で、亡くなった兄にたいする贖罪として親とアンナは断食を敢行するという話。(──だと思われる。)
リブ(フローレンスピュー)がやってくるまでは口移しができていたが、引き離されたことで神の意思にまかせる──ことになる。・・・。

なお、物語全体が俯瞰されるように撮影舞台がむきだしになっている状況から入り/閉まるがメタフィクションの気配が効果的──というわけでもなかった。

が、映画はいい。重厚で魅力的な雰囲気。豊頬で真っ白なアンナ。目力の据わるリブ。引き込まれた。

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ピュー、たくましい。ずんぐりでがっちり。強い女の印象。放火し人様の娘を奪取し豪州へ飛ぶw。そんな強引が暴れない女優、ほかに居るだろうか?

Paige役にBelova役、豪胆だし、ずっとアメリカ人だと思っていた。イギリス人だなんてはじめて知ったw。

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(余談だがこれを見るまえに荻上直子監督の川っぺりムコリッタという映画を見た。外国映画との差を感じたときに日本映画のポジション=存在意義について気づくことがある。それは「じぶんのさくひんを堂々と世間に披露しよう」という強いメッセージ。文でも絵でもなんでもいいがわたしがつくったものは世に出しても恥ずかしいことじゃない。──と日本映画は教えてくれる。)