津次郎

映画の感想+ブログ

そわそわの師走 ニューイヤーズ・イブ (2011年製作の映画)

ニューイヤーズ・イブ (字幕版)

2.9
12月も10日を過ぎるとだんだんそわそわしてきます。といって、何があるわけでもないのに。やがて“他人のイベント”クリスマスがあって大晦日があって元旦には年々乏しくなる年賀状が投函される──毎年同じ年末と元旦です。

それなのに12月も10日をすぎると、なぜかそわそわしてきます。これはなんなのでしょう。街もみんなが急ぎ足です。わたしもそれにならって、なんの急ぎも、なんのイベントもないのに、ふだんよりちょっと早足で、この後にやることが山積みのような険しい表情で買い物をしたりします。年末は店が閉まるってわけじゃないのに山岳班の糧秣係のように買い込んだりします。
毎年決まってこの時期に感じるこのそわそわ、あせりはなんだろう。

──

IMDB5.6。
RottenTomatoes7%と45%。
ぶっちぎりの低評価映画w。
一般評はともかくトマトメーターが二桁(10%)に達していません。むしろすげえ笑。

RottenTomatoesの評論家レビューを羅列してみます。
『深刻な時間のムダです。』
『簡潔に言うとこの映画は1月1日午前三時のタイムズスクエアより無秩序です。』
『ゲストリストには圧倒されますが忘れられ決して思い出されません。』
『ハリウッドという形容詞が蔑称として使われた典型的な例といえます。』
『ノーコメント。』
『くだらない番組しかないときのチャンネルサーフィン。』
『ニューヨークスタイルのチーズケーキ。』
『現代のラブコメがどれだけ駄作になったとしても、まだまだ駄作になる余地があることを証明した映画。』
『歓びのない詰め込みすぎのお菓子。』
・・・。

本作のレビューで多数の批評家が使っていたsugaryは文字通り甘い解決(or感傷)にたいする非難です。

New Year's Eveはすべてのエピソードが甘く宥和な解決を迎えます。日本語で言うとしたらご都合主義とか性善説とか予定調和とか・・・。すべてが甘美なところへ帰結するようにできています。シビアな批評家が酷評するのは当たり前です。

ですが一方、疲れているときや嫌になっているとき、こういう甘甘な群像劇は、大きな癒しになることがあります。

わたしが繰り返しLove Actually(2003)を見るのは多分そういう理由です。見ている間は現実でじぶんにおきている事態を忘れることができます。ほかに映画をみる理由がありますか?

Garry Marshal監督も(Love Actuallyの)Richard Curtis監督にならい、博愛気分に満たされる群像劇をつくろうとしてNew Year's Eveをつくったはずです。ちなみにGarry Marshal監督がそれ(群像劇)をやるのはValentine's Dayに続いて二度目です。

どっちも批評的に失敗しましたがわたしはどっちもわりと好きです。あちら(ハリウッド)のsugary=感傷にはまったく「臭み」がありません。これは日本映画とは雲泥です。

たとえば荻上直子監督の川っぺりムコリッタ(2022)という映画がありました。いささか牽強付会かもしれませんが、群像をつうじて最終的に博愛的調和へ持っていく点で、両者の対比は可能です。

しかし川っぺりムコリッタの臭さたるや風下にいたら全員死亡するレベルでした。これは佐藤二朗監督のはるヲうるひと(2021)にも言えます。

わたしにとって日本映画のsugaryは『「かわいそう」というバナナのたたき売り』のようなものです。どぶ臭くて食えない鮒のようなものです。そんなのが日本映画を席巻しているのだから不思議なものです。だいたいにおいて──以下割愛。

──

そもそもオールスターの強みがあります。
ハイグルもすてきだし、カッチャーもエフロンもかっこいいです。スワンクもブレスリンもいるし、デニーロもいればボンジョビもいます。
なにより「バケットリストやるぞおばさん」のミシェルファイファーがむしょうにかわいいです。

──

現実をわすれようとしてNew Year's Eveなんか見ているうちに時間は過ぎていきます。映画を見ても現実は何も変わりません。

年末にかならずやってくるあせりは、おそらく今年も変わることのなかったじぶんにたいするあせりです。
おれは変わろうとしていた。まちがいなく何かを改善しようとしていたはず。だけど12月も10日を過ぎ、振り返って去年と同じじぶんに気づく。なんかやっぱりなしくずしに年の暮れになっちまった──それが師走の恒例のそわそわなんだと思います。なんてねw。