津次郎

映画の感想+ブログ

夜に息づく無名の人々 続・深夜食堂 (2016年製作の映画)

映画 続・深夜食堂 DVD通常版

3.6
深夜食堂のオープニングってなんであんなに胸を締め付けられるんだろうなあ。

深夜食堂のオープニングと言えば車からの景色。
ギミックなく移動撮影される宵の歌舞伎町交差点付近。
そして鈴木常吉が歌う「思ひで」。

きらびやかで、人がうじゃうじゃいて、どこまでも街が続いて、いつまでも眠らなくて。・・・。
その光彩にかぶさる、たどたどしいのに野太い歌声、
『君が吐いた白い息が、今ゆっくり風に乗って・・・』

わたしのような地方人が憧れて夢破れた東京の原風景。
散った地方人の気分を見透かしているような哀しい歌。
むしょうに心が乱される。

──

Under the Hollywood Signというブログがある。ブログ主のHope Anderson氏は香港生まれ、東京育ちのプロデューサー兼映画監督兼ライターetc・・・だそうだ。
記事は多岐にわたり、日本への造詣もとても深い。しばしば外国人の敷衍する日本・日本人が、生粋の日本人よりも本義や深意を言い当てているばあいがあるがUnder the Hollywood Signにはそういう記事が沢山ある。

そこに深夜食堂の記事があり、奥深い考察を発見した。

がんらい深夜食堂のベースになっているのは夜に起きている人どうしの邂逅であろう。では、なぜ東京に夜に起きている人が存在しているのか──についてHope Anderson氏は日本史から説き明かしてみせている。

『欧米では、レストラン(旅館から独立した飲食店)の起源は、革命後のフランスで、料理人が貴族の台所から突然解放されたことによるとされているが、日本ではそれより170年以上も前に、徳川幕府が大名の倒幕を防ぐために参勤交代制度を導入して以来、レストランが誕生したのである。1615年以降、大名は妻子を人質として江戸に残し、領地と江戸を行き来することになったため、大名の移動だけでなく、生産性のない相当数の従者を都で養うために、巨大な経済システムが発達したのである。飲食店だけでなく、海運、銀行、百貨店、劇場、美術工芸品など、あらゆる商業のルーツは徳川時代の江戸にあり、1700年には世界有数の大都市となった。商人層が成長し、繁栄するにつれ、その資金と欲望は、夜遊びという新しい独創的なものを生み出しました。』
(『Under the Hollywood Sign』『The Tokugawa Period Origins of Tokyo’s Nightlife, and Why They Matter in “Midnight Diner”』(東京の夜景の起源は徳川時代、そして『深夜食堂』に見るその理由)より)
(DeepLの翻訳による。)

かんたんに概説すると大規模な人の移動となる参勤交代によってレストラン=食堂ができた。それに前後付随して地方から来た者たちのナイトライフが派生した。という話。

この記事は、海外でリメイクされた深夜食堂(韓国版や中国版)が深夜食堂のコア(本質的動機)を持っていなかったことによって失敗した──と論結している。

『韓国や中国で「深夜食堂」が失敗したのは、東京の文化的な成り立ちが関係しているのかもしれない。中国や韓国にも都市文化はあるが、400年前に生まれたわけではないし、生涯夜更かしというのは最近の現象である。それに対して新宿は、ほとんど日の目を見ない人々が多く住んでいる。新宿のバルコニーで仕事前の一服を楽しむマスターのように、彼らの世界は夜行性であり、歴史が深い。』
(同ブログより)

納得の記事だった。

──

各エピソードは展開が性急だが筋が面白く台詞に滋味があった。かぎりある尺に三つの佳話を詰めていて感心した。

出演者は全員が演技派だった。こだわって縛ったキャスティングだったと思う。

ドラマでも映画でも深夜食堂は食堂(や交番)およびそのまわりだけがセット。空がないからセットの臨場感には限界がある。が、リアルなエージングなどでロケとの差を縮めている。ひじょうにシームレスだった。

比較的後発に参入した常連キャラだけど、篠原ゆき子と光石研の刑事コンビ、ものすごく楽しくないですか?。だい好きです。このコンビだけでスピンオフがいけると思います。

懐かしい井川比佐志が出ていた。いい声といたずらに険しい眉間。
(余談だが加瀬亮と井川比佐志が出てたCM「ローソンのおにぎり屋」をたまに見たくなってぐぐるのだがどこにもなくてたどり着けない。あれって(ネットから)削除されてないだろうか?)

不破万作、宇野祥平、山中崇、谷村美月、前述のコンビ、他多数。ちょっとだけ出てくる人が光る映画。シリーズを見ていれば、なおさらだろう。

──

深夜食堂で「夜に起きている人」と並列しているもうひとつの大きなモチーフが「地方人のるつぼ」である。
新宿のちいさな食堂は全国津々浦々さまざまな人たちの集いの場──でもある。

ブログUnder the Hollywood Signでも、上述した記事とは別の深夜食堂の記事で、シーズン1の第8話ソース焼きそばを例にあげ、深夜食堂が地方・地方人たちの架け橋or再会の場所になっていることを叙説してみせている。

(シーズン1の8話で)父親に捨てられた過去を持つアイドル風見倫子(You)は最盛期を過ぎたが女優としての生き場所を見つけようと業界にしがみついている。
注文するのは決まってソース焼きそばの目玉焼きのせ。
倫子を捨てた父親(でんでん)があらわれ、こんどかのじょが来たらソース焼きそばの目玉焼きのせに四万十川の青のりをかけてあげてくれよ──とマスターにたのむ。
──食材を通じて出自が判明し、父と娘、過去と現在がつながる。

・・・。

そうはいっても深夜食堂も、ドラマに映画に、これだけ数と回を重ねると「夜に起きている人」と「地方人のるつぼ」の二大モチーフだけではやっていけない。
よくもまあ夜やってる食堂というだけの基礎設定を、多岐にドラマ展開させているものだ──と感心する。

TikTokなんかを見ていると誤解してしまうが、東京の夜に息づく人というのはトー横の子供たちでも歌舞伎町のホストたちでもない。
もっとずっと基幹でありエッセンシャルでありながらまったく目立たないことをしている者たちだ。
その無名の者らの吐息をとらえることでそれぞれのキャラクターが立ちあがる。

そしてキャラクターが毎夜食堂へ集う。

忠さん(不破万作)の台詞に「なにを食うかじゃなくて、だいじなのは誰と食うかだろ」というのがあった。

けっきょく深夜食堂って「夜に起きている人」や「地方人のるつぼ」より以前に、わたしたちの失われたコミュニケーションについての物語なのかもしれない。