津次郎

映画の感想+ブログ

発想元は新世紀エヴァンゲリオン NOPE/ノープ (2022年製作の映画)

NOPE/ノープ(字幕版)

4.1
経営難におちいった牧場主がUFO撮影で一山当てようとする話。(かんたんに言うとw)

牧場は映画ドラマCMなど映像作品に使われる馬の調教を専門としている。先代は撮影所から信頼される名調教師だったが事故死、息子OJは真面目だが口べたで世渡りが巧くない。手塩にかけた調教馬もテーマパークへ売りに出された。

先代の不審死以降、牧場では奇怪な飛行物体が目撃されている。OJの妹エメラルドはそれを撮影し、テレビショーに売り込んで儲けることを画策し、デジタル機器に強いエンジェルの協力を得て飛行物体の撮影を試みる。

並行してテーマパーク「ジュピターズクレイム」のオーナー、ジュープの逸話が語られる。元子役だったかれは撮影中チンパンジーが出演者を襲った惨劇の目撃者でもあった。

かれはテーマパークの新たな出し物として、その上空にたびたびあらわれる“UFO”の調教(観客の前で顕現させる)をやろうとする。

その“UFO”は、さいしょはロボット掃除機のような固まった形をしている。変形すると後光のように帆を広げた凧になる。
(ピールは映画のプロダクションノートで新世紀エヴァンゲリオンの天使を映画の前提やモンスターの主要なインスピレーションにしたと言明しており、第10使徒のサハクィエルの超ミニマリズムと生物機械的デザインのセンスに感銘を受けた。と語っている。)
それが近づくと電気からエンジンから地上の動力はすべて止まる。

有機体の感じはしないが、UFOというよりは空飛ぶ捕食モンスターで、竜巻のように地上物を吸い込んで、ひととおり咀嚼してから消化しないものを空中から吐き出す。体内はまるでバウンスハウスのようだが吸い込まれた者は絶叫しそれが地上へこだまする。

ジュープは調教馬を囮にStar Lasso Experienceショーのリハをおこない“UFO”モンスターをおびき寄せようとした結果、彼もその妻もチンパンジーの襲撃サバイバーのメアリーも観客もスタッフも全員が飲み込まれる。

海外批評家による解説によれば、ジュープが空飛ぶ捕食モンスターを調教・手なずけられると過信していたのは、チンパンジーの襲撃から無傷で生還したから。かつてチンパンジー「ゴーディ」の暴挙からまぬがれたように、モンスターから襲われることなく、つつがなく事が運ぶであろうという慢心がかれにはあった。──というわけ。なるほど。

モンスターが大音量と動きと視線に反応することを知ったOJとエメラルドとエンジェルは、エアダンサー50体を配置し、シネマトグラファーのホルストとかれのIMAX手動カメラでふたたび撮影を試みる。・・・。

映画の主題は、なにかを調教や手なずけることについて。あるいは調教できるはずという人間の慢心やおごりについて。だが細部は捉えきれなかった。

ただし(個人的には)遠回りな黒人権利主張(Black Lives Matter)映画になっている気がした。ドールマイトはじめブラックスプロイテーションとおなじ目的の映画だと思う。その視点で見るとき過激さがわかる。

なにしろ白人は全員吸い込まれ噛み砕かれ血と無機物だけが吐き出される。東洋人もしかり、チンパンジーに襲われ瀕死で生き残った元子役もしかり、捕食を免れて生き延びるのは黒人(とプエルトリコ人)だけである。そしてモンスターをやっつけたOJはラスト、西部劇のヒーローのごとく砂埃のなかから姿をあらわす。

ゲットアウトやUsにも根底にそれがあったが、ホラーやSF的パラメータを隠れみのにした黒人至上主義映画と言っていい。(と個人的には思った。)

だが海外の批評家でそんなことを言っている人はいなかったw。
もっと器用に分析・理解している。
面白かったので(wikiにあった情報を元に)いくつか挙げてみた。

◆スペクタクル(危機的状況下にもかかわらず、逃げるなどの行動をとることなく、目が離せなくなっていることを意味する)に対する中毒を描いている。

◆(動く馬の調教師及び騎手が黒人であることについて)映画草創期における黒人の貢献度の搾取や消去を訴えている。

◆ゴーディ(チンパンジー)と若いジュープの拳がぶつかりそうになる(グータッチしそうになる)ショットは、2022年のセントルイス・ゲートウェイ映画批評家協会の最優秀シーン賞にノミネートされるなど批評家からベストショットの1つに選ばれ、ミケランジェロの名画「アダムの創造」と肯定的に比較された。

◆ジュープがゴーディ(チンパンジー)やジーンジャケット(OJとエメラルドがモンスターにつけたあだ名)が善意だと捉えているのに対し、OJは「手に負えない動物に囲まれて育ち、手なずけることが仕事だった」という調教師としての人生体験をもち、両者は対照を為している。

◆先代(OJ父)は空から降ってきたコインが目から頭蓋に入って死ぬ。公的には飛行機からの落下物による事故死──だが、んなことはあり得ない。その結果OJの心中に「最悪の奇跡」が定義される。
狂乱したゴーディが、破壊された撮影セットを動き回っているとき、若いジュープは暴行を受けた共演者の靴が、不可思議に直立していることに気づく。大人になったジュープは『ゴーディーズ・ホーム』の思い出の品を集めた部屋に、その靴を飾っている。 不可思議に直立した靴は悲劇の合間に起こったため謂わば「最悪の奇跡」でありOJの言う「最悪の奇跡」と相互作用するように配置される。

◆ジュープはゴーディ事件によって被ったトラウマを資本主義的な空元気とユーモアによって偽装している。その運命をジークフリート&ロイに喩えることができる。(ジークフリート&ロイはラスベガスで人気があった二人組の奇術師。ホワイトタイガー/ライオンをあやつったが、とあるショーにてロイがタイガーに襲われ重傷を負い運動・言語能力を恒久的に害する結果になった。)

◆脚本監督のジョーダンピールはCOVID-19とそのロックダウンの経験にもとづき「厳しい回避できない悲劇の終わりなきサイクル」からNopeを書いてみようという気になった──と語ったという。

──

Nopeは洋画等でよく聞くNoの強調表現。ご存知のようにノーとちがってノウッとむしろウを強めに言いプは発声しないで鼻から出す。(感じ。)

意味はNoに準じると思われるが、この映画での意味は「(見たものについて)手に負えないからおれは関わらないよ」という独り言のようなニュアンス。(だと思う。)

映画中には登場人物がNopeと言う場面が何箇所もあるが、タイトルになったNopeの気分をいちばんよくあらわしている”真Nope”はOJが車からモンスターの開口部を見上げた時のNopeであろう。Nopeとは否定と拒絶だが、ここでは生き延びようとする人間の賢明な判断として使われている。

すなわち(昔、NOと言える日本というビジネス書があったが)本作のタイトルは言うなれば「NOpeと言える地球人」という意味合いだろう。侵略者であるモンスターはCOVID-19を具象化したものかもしれない。いずれにしても拒絶・否定よりある種の決意をあらわすNopeであるはずだ。

ピールは新型コロナウィルスによって初めてロックダウンしたとき、そして新型コロナウイルスが終わらないことを知ったとき、Nopeと言ってこの悪夢を書き、タイトルもそれにした。おそらくその気分はおれは関わらないけど生き抜いてやるよという決意のようなものだったに違いない。

黒人に寄せるムードについては、Black Lives Matter当事国では、面倒くさいことになるので黒人も白人も人種主張があることを指摘しないのだろう。(と思われる。)とうぜん目を奪われるのも人種ではなく豊饒といって差し支えない想像力だった。

じぶんはいまでもたびたびKey&Peeleの傑作スケッチSubstitute TeacherをYouTubeで見る。(ピールは「present」としか言わないがw。)
ゲットアウトを見るまで、ピールはComedy Centralに出てくるコメディアンに過ぎなかった。
日本でも映画をつくったり書いたりしているコメディアン(お笑い芸人)はいる。だけどNopeを劇団ひとりやバカリズムの映画と比較できるだろうか。めまいがするこの格差。日本人から見たとき、この宇宙人を描いた映画が、むしろ宇宙人がつくった映画に見えてしまう──という怪。

動く馬のエピソード、ヘイウッド牧場の背景、クリーチャーデザイン、サウンドデザイン、とくにゴーディが対象物を殴る音、凶行の無惨さ、現場で不可思議に直立している靴、OJやエメラルドの人物造形、いっせいにはためくエアダンサーの奇景、巨大なヘリウム風船の滑稽さ、それを食って破裂する意外にあっけないモンスター、全体としてどういう思考回路がこういうものを思いついて成立させたのだろうか──その叡智。とはいえ新世紀エヴァンゲリオンが映画の発想元になっているという不思議。じぶんは門外漢だが新世紀エヴァンゲリオンのファンには違った見地があるのだろうか?いや、そもそもエヴァファンてジョーダンピールの映画を見るような人たちなんだろうか?w。