津次郎

映画の感想+ブログ

表裏になっている賢さ エージェント・ゾーハン (2008年製作の映画)

エージェント・ゾーハン

5.0

ほとんどの日本映画はまじめで悲しいテーマをあつかっているが品質が低い。だけどまじめで悲しいテーマなので品質は責められない。すなわちまじめで悲しいテーマで映画をつくっていると酷評や能力の疑いを回避できる。また、なんとなく思慮深いふりもできる。まじめで悲しいテーマを押し出していると、なんか社会のことをいろいろ考えているんだぞという社会的体裁をつくろうことができる。

ところでゾーハンみたいなのはおばか映画と呼ばれる。

比較する必要はないのだがおばか映画と低品質な日本映画のどっちがばかなんだろうか。
牽強付会だがたとえばプリズナーズオブゴーストランドとゾーハンはどっちがおばか映画なんだろうか。

じぶんは今でもときどきおばか映画エージェントゾーハンのことを思いだすしVODにあったら見るだろう。じっさいVODに見つけてまた見たからいまレビューを書いているわけでもある。がプリズナーズオブゴーストランドは思い出さないし見ないだろう。

言うまでもないがおばか映画というレッテルには楽しい作品であるという含みがある。低品質映画はおばか映画とは呼称されない。

つまりおばか映画で使われているばかとほんとのばかはちがう。──という(当たり前の)話でした。

──

Ido Mosseriという俳優が出ていて、この映画でしか見たことがないがよく覚えている。テルアビブ出身で、サンドラーやタトゥーロの中東なまりは物真似だがIdo Mosseriのは本物のペルシャなまり。滑稽でクセっぽく強烈なシーンスティーラーだった。

人種間ヘイト問題がドゥザライトシングより強烈だったがタトゥーロを楽しませるためにつくったんじゃないかと思えるほどフリーダムなタトゥーロだった。
Emmanuelle Chriquiは100 Girlsのように官能的だった。
ワイヤーワークよりもすげえあくしょんだった。
猫をサッカーボールに見立てて蹴りっこしたり子犬を爆破するぞと脅したりしていた。

ゾーハンは嘲弄的ななまりでNoNoNoNoNoNoと否定ばっかするし映画はイスラム教とフェミニストと動物愛護協会と美容連盟と白人至上主義とモサドと・・・ありとあらゆる人種/団体および連絡協議会を敵に回していた。ところが不道徳で悪趣味でありながら、すごくほほえましいという奇跡的バランスを備えていた。結局「おばか」は賢いプロダクトによって成立することがよくわかる映画だった。

ゾーハンをベストのようなところで挙げるひとはいないだろう。だけどじぶんはゾーハンを思い出したりまた見たりする。また見る映画、いい趣味アピールの映画、もう見たくないけど名画認定している映画、好きなのを秘密にしておきたい映画・・・。じぶんの中でもいろいろなポジションを持った映画があるものだ。とはいえそこに低品質映画はないがw。