津次郎

映画の感想+ブログ

ボーイソプラノ 太陽の帝国 (1987年製作の映画)

太陽の帝国

5.0

スピルバーグでどれがいいと言えば個人的には一番がプライベートライアンで二番がこれ。世評とは異なるかもしれないが、じぶんの思い出としてこの二作品は大きい。

当時、若いわたしは太陽の帝国を見て凄く感動したのだが、世評はそれほどでもなかった。それはおそらく、大戦の映画で敵がわれわれだったからだ。横暴な日本軍にさんざん虐げられる映画であり、日本人としては無邪気に賞賛できる映画ではなかった。

ただし日本人の順路というかパターンというか経由地として中高生時代は自虐史観に染まっていることがあるw。よって若いころはHarshに描かれる日本軍に抵抗が少なかった。だから太陽の帝国が好きになれたのかもしれない。

(日本軍は酷いことをした──という事実は映画で確認することじゃなくて、文献書物などから学ぶこと──という気がしている。そうしないとTheCoveや金陵十三釵や軍艦島や主戦場や東京2020オリンピックなどなどのプロパガンダを峻別できない。不確かかもしれない映画を見て憤慨するのはあほだ。)

だいたいにおいてアメリカ映画を見ているときはアメリカ側に立脚しているもんだ。パール・ハーバー(2001)を見ているときだってそうだったんだから世話ねえや。

この太陽の帝国でも、多動で情緒不安定だがドラマチックでシュッとしてて気丈夫で蛮勇な少年時代のクリスチャンベールに対峙する日本人側はHarshな伊武雅刀とがさつなガッツ石松だったわけであり、こういう明瞭な二元を見せられながら日本人は史観を形成していって・・・いいわけがない。
映画は娯楽、主義主張の根拠にしてはいけません。という話。

──

当時マルコビッチは絶賛売り出し中の演技派で、著名監督がこぞって彼を起用していたうちのひとつが太陽の帝国だった。

好きなシーンがあって軍曹役ガッツ石松がトラックで移送する捕虜を選ぶのだが、その選定方法が面がまえ。
ぐいっと見て目が泳いでないやつを選ぶんだ。
そのときマルコビッチがブリキの椀をくるくる回しながらぐいっと見据えるとあっさり選ばれる。

ただそれは個人的によく覚えているだけでなんでもないシーンのひとつだった。
映画は長尺をものともしない演出でもっていく。

前段でもぬけのからになった上海の屋敷で下女がクリスチャンベール少年に容赦のないビンタをくらわして家財を盗っていくシーンが身分の崩壊を浮かび上がらせ、リアルだった。
が、少年はすさまじい生命力で捕虜生活を生き延びる。

映画の白眉は、空爆のさなか楼閣上で少年が興奮し、医師役に「君は考えすぎる、考えすぎるのはやめろ」と叱咤される場面だと思う。当時を思い出しても、その場面で突如ガシッと掴まれたような緊迫を覚えた。多感な少年に苛酷すぎる負荷がかかる映画だった。

スペクタクルとアドベンチャーと詩趣と、収奪された高価な調度が集まった競技場。信じられないほど潤沢な予算で描かれていた。

冒頭からかかるボーイソプラノのソロ・合唱曲「Suo Gan」が好きでサントラを買った記憶がある。きっとご同意いただけると思うが、いつでもやすやすとあの美しい旋律を思い出せる。