津次郎

映画の感想+ブログ

なんかありそうだけど ある男 (2022年製作の映画)

ある男

2.8

原作は読んでいないので映画としての印象になるが、石川慶とプロモーション用の装丁から愚行録や吉田修一や李相日のようなものを予測&期待して見た。が、登場人物が入り乱れ、追えなくなっていく。リアルなタッチだが話や人物はメルヘン。罪悪感と在日のパラメータを同線上にしようとするが乗らなかった。

いまの日本映画は悪人が起点になっている。韓国ノワールの台頭と悪人によって多くの日本の映画監督が李相日ぽいムードを真似しはじめた。
多数の日本映画のリアリティ表現に李相日の存在が見えてしまうことに加え、瀬々や三島や荻上やsabuなど“人間の深淵を見つめています”ヴァイブを発する李相日ぽい作風に軌道修正した俗物も多かった。

が、石川慶は別の経路から来た人で来歴にポーランドのウッチ映画大学で学んだ──とあり、デビュー長編からして秀作の愚行録、日本映画臭のない映画監督といえると思う。

因みに日本映画臭とは画からにじみでてくるクリエイターの自我のこと。俺様気配、昭和ポルノ、アート系な驕り、わかるひとにはわかるムード・・・。
映画そのものよりも前面に承認欲が見えてしまうことを日本映画臭と言う。(「言う」つってもひとりで言っているだけだが。)

これは日本映画臭がなくお涙でもなかったから安心して見ていられたが、焦点が定まらず雑然とした印象が拭えなかった。

また、ある男(窪田正孝)が積極的に母性本能をくすぐりにきているのが釈然としなかった。
おとなしい林業従事者。絵を描くが、絵はびみょう。「鏡に殺人鬼の親父を見いだして動揺するから」鏡を見るとうろたえる。

男目線で見れば、ある男が戦略的愚直をつかって女を釣ろうとしているのは明白だった。実際口べたな雰囲気で文具店に通い詰め寂しげな寡婦をゲットする。筋書き上仕方ないものだったにせよ、いかにも母性本能をくすぐりそうな窪田正孝が母性本能をくすぐりそうな役をやっているのがイヤだった。

つまり、ある男は犯罪者の親を背負った不幸キャラを演じている男であって、トラウマに侵犯された男ではなかった。ように見えた。

逆に清涼剤になっていたのが小薮千豊。少ない登場シーンだったが出てしゃべるだけでそこをなんばグランド花月に変えた。陽性、のっぽ、野太い声、ムダにするどい眼光。人情味にあふれ、またハッキリ5かマネーの天使でも見るか、という気分にさせた。

韓国へ行き「日本人であることを恥ずかしく思う」という“マーケティング”をしたことがニュースになっていた女優も出ていた。

この映画の在日設定も、肉親が犯罪者であることの罪悪感と、在日に対する日本人の罪悪感を交叉させるつもりがあったのかもしれない。
いずれにせよ在日が絡む話は日本では高評価へつながる。
はたして映画は多数の賞をとった。

世には正装して出来レースを発表する形骸プライズがある。日本アカデミー賞もそれ。カンヌやサンダンスのように、あるていど民意や審査基準が推察できないプライズは、庶民にとって意味がない。がんらい日本は旧弊で権威主義な映画製作システム自体に問題があり、コンペティションが成り立つような成熟した業界ではない。

石川慶は日本映画臭のない監督だが、この映画はプライズをとるほどのものではなかったと思う。だが第46回日本アカデミー賞にて作品、監督、脚本、主演男優、助演男優、助演女優、録音、編集、の8つの最優秀賞を受賞したとのこと。

編集とか録音とかって選考理由あるんだろうか。米アカデミー賞に寄せて創設したものなんだろうが、プライズを監査する第三者がいるんだろうか。内輪で決める映画プライズってほんと意味ないと思う。