津次郎

映画の感想+ブログ

なにげに初めて映画館で見た男はつらいよ 男はつらいよ お帰り 寅さん (2019年製作の映画)

4.0
男はつらいよを映画館で見たのは初めてだった。
満男の来歴をうまく寅さんが絡むように組み立てた話には腐心が感じられた。気兼ねせず結婚しろと諭される満男に、東京物語の紀子が重なる気がした。
泉ちゃんは棒読みに棒演技、むしろ昔のほうが上手だったが、ひとりだけ小津をやっている感じは悪くなかった。
浅丘ルリ子が山田監督に「これ以上明るくしたらやらないわよ」と言っているのが聞こえてきそうな暗がりのバーだった。さくらも博もまだしゃんとしていたが、くるまやの上り框に介助手すりがついていた。みんな元気でいてくれと思った。
満男の「もしこんなときおじさんがいてくれたら」が素直に伝わってきて、マドンナたちのフラッシュになって──現況も名前も知れない女優たちに涙が出た。
偏屈なわたしでも労いのありがとうが出てくる仕上がりだった。

この労作にケチがついたので以下一応書いておきたい。
折しも「世界的に有名な」グラフィックデザイナーの苦言がゴシップとなっている。
しかし過去作の場面を引用し寅さんを復活させる──ってのはアイデアと呼べるようなものなんだろうか。
ターキンのピーターカッシングではあるいまいし、ルーカススタジオを持ってくるならいざ知らず、過去場面を編集して挿入するほかに渥美清の動画はありえない。グラフィックデザイナーの有り難い言葉を拝聴せずとも、ほぼ誰でもそこへ帰着することである。

ゆえに、それを「俺のアイデアだ」と言ってしまうとき、人の写真を貼っつけて背景をいじって、はいグラフィックでございます。一億円です。──というウォーホールみたいな方法論と、それが怪もなく通用するばかりか、ゲージツ家として崇められるグラフィックデザイナーという職業の形骸性を露呈させてしまうのである。

よしんばそれがアイデアだとしても、盗用とは穏やかではない。蕎麦屋で話したことなら、よけい穏やかではない。まして、ホントに世界的に有名なアーチストであるなら、とうてい世界的に有名なアーチストのする行いではない。この御大の歯ぎしりは、晩節を汚しているばかりか、お里を知らしめている──以外のなにものでもない。

この瑣末時に、もし好意的な見方があるとすれば、このひとは、時代の寵児の晩年がどんだけ寂しいかという「グラフィックデザイン」を自身を使って表現しているのだ──ということになる。きっと山田監督や寅さんやくるまやの人たちが羨ましくてならないのだろう。