津次郎

映画の感想+ブログ

タイムスリップする女性のロマンス グレイテスト・ヒッツ (2024年製作の映画)

グレイテスト・ヒッツ : 作品情報 - 映画.com

2.0

最愛の彼氏を事故で亡くしたハリエット(ルーシーボイントン)は、彼氏の生前一緒に聴いた曲を聴くと、供に過ごした甘美な過去にタイムスリップしてしまうという「奇病」にかかる。という話で、ガーディアン紙が5点中の2をつけて「しばしば耐えられないほどキュートなロマンス」という言い方で評しており、同意するものがあった。

シングストリートやボヘミアンラプソディを経て「音楽映画のヒロイン」という定番ステイタスがボイントン起用につながっていると思われるところでまず匂う。曲を聴くとタイムスリップしてしまうという設定でまた匂う。(だから耳を塞ぐ理由でヘッドフォンを常着している。)この時代にアナログレコードが音源で、趣味よさげなアンティーク&カフェをやっているアジア人の新彼氏登場でさらに匂い、映画全体がいかにもそそる楽曲が使われていることでますます匂った結果くさすぎて脱落した。(「脱落」は見るのを止めたという意味ではなく好評に与しないという意味で。)

「雰囲気でもってこうとしてねえか?」という皮相とおしゃれや趣味のよさをくすぐりまくる感じがいやだったがimdb6.2、RottenTomatoes49%と70%の評価どおり一般は比較的懐柔できていた。
RottenTomatoesの批評家の総意は『「グレイテスト・ヒッツ」は純粋に面白いアイデアを軸に作られているが、感傷に頼ることが多すぎる浅薄な扱いの中で失われている』というもので、私見とトマトメーターのコンセンサスが合致したときに沸いてくるわずかな矜持を感じた。まったくつまらん男だなおれは。

映画のサムネイルがアナログレコードのジャケットに登場人物が載っている──いかにもシングストリートというかジョンカーニーが好きみたいな音楽映画ファンの琴線を狙い撃ちしてくるムードの装丁で、じぶんもそれに釣られて見たのだがジョンカーニーはジョンカーニーしかできないし、たとえジョンカーニー「みたいなの」だってやはりジョンカーニーしかできないのを再確認できる映画だった。
だいたい偶然に会ったに過ぎない若いふたりがレコード屋でRoxy Musicの旧盤を取り合いになったりブライアンフェリーのコンサートで隣あったりするのはありえないしクサすぎる。
かつて洋楽をかじった人ならば、おしゃれなところに往年のタイトルが出てきたとき「ほんとうに君ら古いRoxy Musicが好きなのか?」という懐疑をもたないわけにはいかない。鴨居にRoxy Musicの旧盤のジャケットが飾ってあることと、古いRoxy Musicが流れているという状況はまったく違うもので、前者はカフェで、後者は音楽愛好家の自室だ。もてなしのいい音楽が流れる映画で、端正な登場人物が昔のRoxy Musicが好き──というのを信じられない人だって映画を見ているわけである。

つまりこの映画は(たとえば)ブルーススプリングスティーンとかローリングストーンズのコンサートに行ったそこそこなファンが、その原体験(リアルタイムでブルーススプリングスティーンやローリングストーンズを聞いて育った)をもたないにもかかわらず、雰囲気に乗せられてあの頃の記憶が蘇ったとか魂が震えたというような大仰な感動を述べてしまった──というようなうさんくささがあり、そのうさんくささをルーシーボイントンが抑え込んでいて、全体としてルーシーボイントンだから許される絵になっていることがわかる映画だった。皮肉ではなくさすが「音楽映画のヒロイン」だと思った。

しかし監督のNed Bensonが趣味や夢想していたシチュエーションを映画にしてみたくてそれを実現してみたのであれば立派な達成であったし、映画が若い人にウケたのであればロートルが何を寝言言ってるんだ、年寄りは寝とけよという話ではある。

が、率直に言ってふたりの蜜月は長かったわけではなく死に別れたとはいえ、忘れて次の男に行けちゃうタイミングであり、タイムスリップがどうこうじゃなくタイミング的に次の男がデキるときだったからデキたという話ではなかっただろうか。
恋愛描写も単調な甘さの練りものみたいで、ほんとにタイムスリップとボイントンだけでもっていこうとした「しばしば耐えられないほどキュートなロマンス」だったと思う。