津次郎

映画の感想+ブログ

ダブリンの母子 フローラとマックス (2023年製作の映画)

フローラとマックス

4.1

シングストリートから7年ぶり、ジョンカーニーの音楽映画。
2023年1月にサンダンスで上映され熱狂的なスタンディングオベーションを引き起こし、AppleTVに約30億円(2,000万ドル)で配給権を買われたそうだ。
imdb7.1、RottenTomatoes94%と86%。

主演は(U2ボノの娘の)イヴ・ヒューソンと、ジョセフ・ゴードン=レヴィット。息子マックス役でOrén Kinlanという少年。シングストリートの“兄貴”Jack Reynorも出ている。

ジョンカーニー映画の特長はダブリンと労働階級となまり。デリー・ガールズみたいな気性の激しさと喧噪に満ちた庶民生活。蓮っ葉で淫奔な気配を加えてダブリン生まれのイヴ・ヒューソンがはまり役だった。

映画内でゴードン=レヴィットはギターと唄を披露するが、彼はサンダンスの観衆の前で──、

『ついに映画で音楽を演奏することになった!ずっとやりたかったし、根っからのミュージシャンで、音楽をやるのが大好きなんだ。映画のためにいろいろなことを学んできた。綱渡りとか、ホッケーとか、格闘とか射撃とか。でも今回は、人生の大半を費やして練習してきたスキルを、慣れているスキルよりももう少し高いレベルで練習することになった』

──と、語ったそうだ。

みずから根っからのミュージシャンだと言った彼は起業していてベンチャーキャピタルを保有しているし監督業もやる。多芸ゆえ役者の姿は彼のほんの一端なのだろう。それが映画内のキャラクターと重なった。ジョセフ・ゴードン=レヴィットはまぎれもなく成功したスターだが、オンラインでしがないギター講師をやっているジェフは、秘匿されてきたゴードン=レヴィットのもう一端の姿でもあった、からだ。

最適なふたりを得て、Flora and Sonは母子の絆を描いていた。

フローラ(ヒューソン)は17歳でマックス(Orén Kinlan)を生んだのでじぶんの青春そっちのけで子育てに奔走してきた。旦那(Jack Reynor)とは別居しており、マックスは反抗期で非行にはしっている。少年連絡官から、なんかやったら次は矯正施設に収監するぞと釘を刺されている。フローラとマックスは毎日いがみあいながら生きている。

あるときフローラは捨てられていたギターを拾ってくる。修理してマックスの誕生祝いにプレゼントしたが邪険にされてしまった。
それならじぶんでギターをならってみようか・・・ひょんなきっかけでギター講師のジェフ(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)にオンラインで出会う。かれはロサンゼルスに住んでいた。

その授業をうける一方で、離反した母子がふたたび結束する様子が描かれていく。描かれていく過程で、Begin Againやシングストリートのように、映画がシームレスにミュージックビデオのように変わる。鮮やかと言うほかない。

ジェフがフローラに見てほしいとリンクを送ったのはジョニミッチェルが1967年に書いたBoth Sides Nowで日本では青春の光と影という名前で知られている。
詩は哲学的だが、憧れをもって見ていた事象が、経験や知識や時間を隔ててみると不可解なものに変わってしまうという儚世のようなことを歌っている。(と思う。)

それを聴いてフローラは涙を流すのだ。

ジョンカーニーを見ていると、あたかも市井無頼の庶民が音楽に目覚めるように見えるが、とんでもない。
Both Sides Nowを聴いて涙したり、DTMソフトを使いこなせたり、リズムに即応してラップフレーズを思いついたり、スマホで即興のミュージックビデオが作れたり、自分で詩を書いたりする音楽的才能がなければならない。フローラもマックスも計り知れない音楽的素養の持ち主なのだった。

映画内オリジナル曲High Lifeが印象的。
筋書きで最後に母子で演奏するところへ持っていき最高潮に盛り上がる。すなわち筋書き上のクライマックスの高揚感と、楽曲の高揚感が相乗する。いたずらに音楽映画で一貫してきたわけじゃない。いままでどおりに音楽的高揚と映画的高揚を自在に操っていた。

ちなみに映画内会話にも出てくるがアイルランドとロサンゼルスはとんでもなく遠いらしい。“地球の裏側”みたいなものだそうだ。
日本人としてはそんな地球の裏側といえるほど遠い人どうしが同じ言語でさくっと意思疎通できてしまうことに地味に感心or羨望するところがあった。

日本人とて英語を習得すればトパンガ渓谷の陽光下にいるジェフのオンラインギターレッスンが受けられる。が、そういうことじゃない。
フローラは母国語以外の言語を学ぶ必要や野心のない労働階級だ。日当を稼ぎ暴言を吐き週末ごと違う男と寝るような下層といえる。

概して下層階級は二カ国語を操ることができずその野心もないゆえに海外とオンラインで結ばれない。だけどフローラはワインを飲みながらわけもなくジェフと話した。なぜか。英語話者だからだ。したがって英語話者であるか/ないかによって達成しうる実現損益みたいなものの圧倒的格差について感心or羨望するところがある──と言いたかった。