津次郎

映画の感想+ブログ

あんがい拍子抜け ほの蒼き瞳 (2022年製作の映画)

ほの蒼き瞳

3.0

前作Antlersは好きでした。が、スコットクーパーは手堅いけれど生真面目すぎます。概して“優等生で食い足りない”という印象があります。この映画The Pale Blue Eyeもまさにそうでした。
興味深い原作で、お金をかけ役者もそろえロバートデュバルまで引っ張り出して撮影は高柳正信。悪い点は見あたりません。なのに、な~んか満足度が低いのです。(性的という意味ではなく)色っぽさに欠けるのです。

ただしポー役Harry Mellingは出色でした。
来歴を見たらハリポタが並んでいるのでハリポタファンにはなじみ深い人なのかもしれませんが、個人的に忘れ得ないのはコーエン兄弟のバスターのバラード (2018)の挿話「食事券」です。Harry Mellingは四肢なしの弁士でした。じぶんはそのレビューをこう書いています。

『「あっけらかん」という日本語の意味を調べてみたら、次のように書かれていました。
『常識的、道徳的に考えれば当然あるはずの屈託、ためらい、恥じらいといった感情がなく、平然としているさまを表わす語。』
この映画にピッタリくる言葉です。
どの章も無情で即物的でアイロニカルです。でも、なんとなく空気感は陽気です。そしてあざやかです。
食事券の章で馬車が高架橋に寄ります。石を落とすので「ああ落とすんだなあ」とは判るのですが、それが「あっけらかん」と処理されます。
興行主がニヤニヤしながら近づいてきます→四肢のない弁士がごくりとつばを飲みます→鶏だけになった荷馬車→渋い表情の興行主。
愁嘆が回避され、倫理が浮いてしまいます。非道なのに、なんとも言えない余韻が残るのです。これはあざやかです。(後略)』
(わたしのバスターのバラードのレビューより)

まだ無名で士官学校にいたエドガーアランポーが猟奇殺人の謎解きに加わるという原作は心躍るものでした。
そして若きエドガーアランポーを誰が演じるか選ぶとしたら・・・Harry Mellingはうってつけでした。

病的で神経質で繊細で疑心暗鬼で、現存するダゲレオタイプのポーもまさにそういう風貌をしています。配役はさすがにスコットクーパーでした。

だけど映画はぜんぜん猟奇へ振られてなくてすっこぬけてしまいます。抽象的な言い方ですが色気と潤いがまるでありません。

この原作ならば仏映画のパフューム~(2006)やジェヴォーダン~(2001)のように、あるいはクーパー自身の前作Antlersのようにがっつりと猟奇や血なまぐささへ振ってクリスチャンベイルの痩けた頬を生かすべきだったと思います。

デュバル以外にもTimothy Spall、Toby Jones、Charlotte Gainsbourgなど名優を揃えていて、なんかもっとぜんぜんすごいのができる布陣だったし話だった(などと勝手なことを)と思ったのでした。