津次郎

映画の感想+ブログ

むしろホラー イニシェリン島の精霊 (2022年製作の映画)

イニシェリン島の精霊

4.3

(部分ネタバレ)

民話の宝庫アイルランド。
想像力が豊かなケルト人。
マーティンマクドナー監督の映画を見るとそれが納得できる。

劇作家だったが映画業へ乗り出すと寡作ながら高品質で注目されスリービルボードで時の人になった。
不条理なブラックユーモアと紹介されていて、生ぬるい共鳴をはじき返すようなストーリーをつくりだす。
たとえばスリービルボードで言うと、さいしょ観衆は娘を失ったヘイズ(マクドーマンド)に同情を寄せる。だけど露命のウィロビー署長(ハレルソン)にも同情の余地がある。
生ぬるい共鳴をはじき返す──とは、観衆がシンパシーを寄せる人物が変転したり複合したりするような両義性をもつという意味だ。同様に一元な憎まれ役も存在しない。

そんな善悪の定まらない人物配置を寓話の気配が覆う。
非情であったり残酷であったとしても人の営みを高みから眺めているような滑稽さがある。
イニシェリン島の精霊もそんな話だった。

日本語で精霊というとおとなしい印象だがBansheeは恐ろしい存在らしい。
旧世代で洋楽をかじった人ならSiouxsie And The Bansheesをごぞんじだろう。奇矯な格好で奇声をあげるイメージが残っている。
Bansheeで検索すると、どの画像でも邪教のようなマントを羽織りフードをかぶった女が絶叫している。

『バンシー(英語: banshee、アイルランド語: bean sidhe)は、アイルランドおよびスコットランドに伝わる妖精である。人の死を叫び声で予告するという。』
(ウィキペディア:バンシーより)

映画にもBansheeとおぼしいお婆さんが出てきた。マント姿で水死体を引き寄せる鉤のついた杖を持っている。町民の命運をつかさどる、ありがたくない案内人だった。

イニシェリンには美しい自然が広がっているが、娯楽と言えばパブくらいで、見知った者どうしがぎすぎす生きている。遠くで内戦をやっていて風向きによっては音が聞こえる。島生活は平和だが退屈だ。眺望がよくのんびりムードなので、安楽な気分で見始めると、苛烈な表現に度肝をぬかれる。

パードリック(ファレル)は長年の友人であるはずのコルム(ブレンダングリーソン)から突然絶縁されてしまう。理由も分からず動揺を隠せないパードリックは妹のシボーンや隣人ドミニクの助けも借りて何とかしようとするも、コルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と言い渡される。

コルムは器用で才能がある。パードリックは善人だが退屈だ。
コルムはパードリックと馬鹿話をしながら無為に過ごすことで、後世に名が残らない人生に嫌気がさし、友人関係を絶つことにした──とパードリックに説明する。・・・。

海外評からは悲劇と喜劇/ユーモア/ウィット/哀愁/ほろ苦さなどなどの言葉が多数見られたが、個人的にはアスターのようなホラー映画と言って過言ではなく、たいへんなストレスをおぼえた。

そもそも“指を切り落とす”というのがはったりでも比喩でも言い回しでもない。
むろんそれがはなはだしく誇張されたユーモアだというのはわかる。全体として滑稽な寓話になっているのもわかる。

ただ、わたしは片手全指を切り落とすコルムの極端な思い込みにある程度の現実味を感じた。やるやつはどこまでもやっちまうもんだし、人間関係だって脆いもんだ。良好にみえる人と人どうしが、ふだん互いにどんな気持ちで接しているのかなんて解らないもんだ。

──と同時に、友人から絶縁され妹にも出ていかれ島にとりのこされたパードリックの気分を共有して暗澹たる気分にもなった。
退屈なわたしはパードリックと同様に、唯一の友だったロバにも先立たれ、ひとりぼっちで毎日黒ビールを飲んでくだまいて孤独死する──ようなもんだろう。わかりきった将来とはいえ気持ちが落ち込んだ。転じてたいへん見ごたえがあった。

現実ではグリーソンよりファレルのほうが器用だろう。ファレルはイケメンもマッチョもランティモスもKogonadaも何でもこなせる。本作では、あの太眉が八の字を描き、困り顔が真に迫った。マクドナー作品やロブスターなどでも感じたが華やかなスターが完全に庶民の顔になれるのがコリンファレルのすごさだと思う。
またバリーコーガンがえぐいほど上手だった。ゴールデングローブとアカデミーにノミネートされた他、幾つかは受賞したそうだ。

なおイニシェリン島の精霊は絶賛され、多数の賞をとった。
英語のウィキにはList of accolades received by The Banshees of Inisherinというサイトがあり56のアワードや団体での選出やプライズが列挙されている。