津次郎

映画の感想+ブログ

野心と純心 ルックバック (2024年製作の映画)

4.0

ネタバレ有り

PVを見て、むしょうに見たくなった。吸い寄せられるような絵と声。アニメなのにカメラワークを感じるPVだった。特別なもの・フレッシュなものを感じたので映画館へ行った。
じぶんは漫画を見ない人で、何も知らないまっさらで見た。

小学校四年生の藤野は漫画がじょうずで運動能力にも優れたクラスの人気者だった。尊大な態度だが、まだかわいい範囲内である。
学園新聞に四コマ漫画を連載していたが、不登校児である京本の漫画と併載されたとき、京本の画力は彼女の自尊心を打ち砕いた。
しかし京本は自らの優れた画力に無自覚であり、藤野を「先生」と崇拝しているのだった。・・・。

序盤中盤は藤野・京本の出会いと友情が描かれるストレートな話だが、変なところもあった。京本の家には小学生の京本一人しかいなかった。ふたりが出会ったとき、背中に藤野歩とサインをするのだが、京本が着ていたのは褞袍(どてら)だった。(布地にはっきりした文字を書けることがなにげに不可解だった。)ランドセルを背負って駆けるあぜ道は天へ続いているかのように茫洋としていた。
さいしょから二人の世界は細部が欠けていた。

藤野は京本の画力と消極性を自らの立身に利用するが、不人情なわけではなかった。二人は最初から主従のポジションで交友をはじめたのであり、双方に不満はなかった。しかしやがて京本の心中に背離が芽生える。その経過が、手を引っ張る藤野と、引っ張られる京本の絵で描写された。

二人のペンネーム「藤野キョウ」は漫画家として立身し、連載を抱えて勢いに乗った藤野はぐいぐい京本を引っ張りながら突っ走る。が、京本は藤野から離れて自らの芸術的野心を極めたかった。京本は繋いでいた手を離す。

二人が離れた原因は価値観の違いだった。藤野は周囲の評価・人気に価値を置いた。毀誉に一喜一憂し、熱烈なファンである京本に会ったときは、天にも昇るほどに気分が高揚して、漫画で生きるきっかけをつくった。一方京本はひたすら自己研鑽・探究に価値を置いた。ほめられなくても精進し上達することに価値を見いだした。
顧みると、二人はお互いに自分の本心を秘匿した知らない者どうしなのだった。

とはいえ、次第に離れていく藤野と京本の関係は、大人へと脱皮していく幼友達が直面する普遍的な確執でもあった。──ゆえに、その後の展開は、おもいでぽろぽろがひぐらしのなく頃にに変わってしまったかのように急峻だった。

京本が鬼籍に入る事件は唐突で細部がなかった。凶手の「パクられた」という動機には時事にあてこんだ気配もあった。

ところが。話が愁嘆場へ入ったと思いきや、京本の死に落胆した藤野の意識は、漫画をやめて空手をやっている多層宇宙(パラレル世界)へ飛び、京本につるはしを下ろそうとしていた凶手にドロップキックをくらわして、凶行を阻止したのだった。

漫画で結ばれた少女の普遍的な友情話から猟奇殺人が起こり、と思ったらそれが跳び蹴りで解決するのを予測できたか?→できなかった。
そんな奇抜な構成が58分という変則尺のなかに収まっているのが映画ルックバックだった。

原作にはさまざまな分析があがっていた。
ワンスアポンアタイムインハリウッドのようにシャロンテートが死ななかった世界へのやり直しをはかる試みは、ルックバックのパラレル世界と親近性があるとされ、さらに、

『藤野が雨に打たれながら喜んでいる場面を『雨に唄えば』や『ショーシャンクの空に』や『台風クラブ』、パラレルワールドが描写されている点を『ラ・ラ・ランド』、漫画が藤野と京本の未来に大きく影響している点を『バタフライ・エフェクト』、事件発生後の藤野と事件発生前の京本がドアの隙間をすり抜けた4コマ漫画を介して繋がっている描写を『インターステラー』との共通点として挙げている。』
ウィキペディア「ルックバック」より

そもそも凶行が阻止されたのは多層宇宙のどこかであり藤野は京本がいない世界で黙々と漫画を描き続けるのだ。
無事解決を見せてからバッドエンドに沈めるのは未来世紀ブラジルのようでもあった。あるいは藤野はサリエリだったのかもしれないが、京本は藤野を天才と仰いでいた。なんであれ既存作品との類似はルックバックの理解を助けてはくれなかった。

ルックバックは突飛な展開をもった出会いと別れの話と言える。泣かそうとしながら泣かさねえぞともしてくる意地悪設計の青春物語とも言える。野心的作風とキャラクターの純粋さが不協和音をおこしている。キラキラの蜜月から悲劇へ落とすことでジャンル区分するとしたらホラーになるのかもしれない。

京本が魅力的だった。愛すべきイモっぽさ。ざんばら髪で猫背で豊頬で口元にほくろがある。吉田美月喜のたどたどしい山形弁はやみくもに護ってあげたくなった。だいたいにおいて、PVでこの声を聞いたから矢も盾もたまらず映画館へ走ったわけである。そんな淳良な京本が異常者の犠牲になるのは理不尽だった。おそらくルックバックが言っているのは夢を抱きながら生きている者が突如として遭う惨禍のことである。交通事故か新型コロナウィルスか自然災害か痴漢かパワハラ上司かDVか病気か冤罪か、何かは解らないが、人はわりとあっさり陥穽にはまり込んで抜け出せなくなることがある。それは事件に巻き込まれるほど稀なことかというと、そうでもない。そしてそれを生き残ったのであれば哀しくても唯唯生き続ける他はない──とルックバックは言っているのではなかろうか。

映画館は子供(家族連れ)が目立ったがまったく子供向けではなかった。