4.0
不倫を題材にした小津安二郎としては異色作になっています。
ウィキペディアに『池部と岸にとっては唯一出演した小津作品であり、同じようなキャストを使い続けた小津にとっては異例であった。』とあり、積極的に路線・趣向を変えようとした感のある映画でした。
1956年製作の早春は東京物語(1953)の次にあたる映画ですが、その間の3年という開きは終戦から年1本のペースで映画を撮ってきた小津安二郎にとっては長いブランクだったそうです。
Early Springのwikipediaによると当時、大船調やホームドラマの人気が下落しており松竹が新機軸をもとめていたため、野田高梧と小津の脚本コンビは松竹と時代性に即していくつかの譲歩をした──とありました。
集大成といえる東京物語を作り上げたことで家族哀話が一段落したという監督自身の意中もあったのだと思います。
そこで当時のフレッシュな人気俳優を使った刺激的な不倫もの映画早春がつくられた──という感じだったのでしょう。ただし映画に刺激的なところはありません。不倫を扱ってはいますがヒューマニズムが横溢するいかにも小津印(じるし)な映画になっています。
ちなみに「大船調」とはネットの概説によると──
『松竹大船撮影所で作られた映画作品をしめすことば。暴力、裸などが描かれない、家族で楽しめる作品。多くほのぼのとした映画をしめす。』とのことでした。
蒲田に住む妻帯者の杉山(池部良)は都心の丸ビルにある東亜耐火煉瓦株式会社につとめています。会社でハイキングにでかけたとき、その大きな目から金魚とあだ名されている若い同僚(岸恵子)と急接近し、以後たびたび逢い引きするようになります。
杉山の妻、正子(淡島千景)は夫の異変に感づきますが、向き合うことができないままでいます。杉山の岡山への転勤を機に杉山と正子は夫婦として互いにやりなおそうと誓います。
不倫もの映画とはいえ杉山と金魚の交情描写はありません。接吻シーンでさえ横からではなく後ろからなので、どちらかの後頭部しか見えません。そもそも二人でいる描写自体がわずかなので、不倫の有無もあいまいであり、不倫よりも浮気と言ったほうが妥当なものです。
金魚は無邪気な幼い女で、じぶんが妻帯者と仲良くしていることに良心の呵責がありません。男の生態を観察しているような若い女っているでしょう。つきあうっていうより面白がっていて、こっちも愉しんで利用している──という状況が男にはあると思います。
むろんそんな関係は泡沫ですし遊びのつもりでしょうがパートナーが知ったら悲しむのは言うまでもありません。
しかし不倫は副次的なもので映画早春の主題はサラリーマン生活の閉塞感です。戦争で生き延びて、帰還し、日常生活に戻った人間、戻ろうとしている人間が撞着する悩み、あるいは戦争後遺症の話は内外問わず、しばしば映画になります。
杉山にも漠然とした不安があります。正子は気丈ですが、ふたりは子をつくったものの幼くして赤痢で失っています。その痛みに加えてサラリーマン生活は単調で、このままこうやって生きていていいのか、という憂慮が杉山にも正子にもあります。
そんなとき憂さを忘れてつきあえる金魚に接近してしまった──とはむろん男側の言い訳ですが、そういう流れをみてとることができます。
池部良は暗さをもった美男子です。ウィキによると1942年に召集され、46年復員するまでの間に、輸送船を撃沈されセレベス海を10時間泳いだり、ハルマヘラ島のジャングルをさまよったり、オーストラリア海軍艦長と交渉をまかされたこともあるそうです。戦争体験が俳優池部良に陰影と厚みを付け足しているように感じました。
映画には戦争が描かれていませんが戦争の影が色濃い映画です。
加東大介や三井弘次が演じている杉山の戦友は、生き延びるために必死だった戦場から、金稼ぎに必死にならなければならない平時に戻って、戦時を懐かしんでいるように見えます。平時の延命方法は、戦時の延命方法とちがって、ルーティン化された規則的なものです。高度成長期にあり、時代は激しい変化をとげています。かれらが抱えている将来への漠然とした不安が伝わってくることと、杉山の不貞が軽減されることは、無関係ではないと思いました。
ところで不倫について、人それぞれ違った見識があります。まず大前提として不倫とは当事者間の問題です。無関係な者がとやかく言うことではありません。
また、あまりこのようなことは言われませんが、芸能人の不倫についてけしからんと言う人は、おそらく恋多き人ではないでしょう。不倫・浮気はそもそもが魅力的な人のやることです。すなわち、わたしが不倫をしたことがないのは、とりもなおさずわたしに外見的魅力や甲斐性が無いからです。人様の不倫をどうこう言う前に不倫と無縁であるじぶんを顧みる必要があると思います。わたしは不倫を拒んだのではなく、できなかったのです。モテない。誰も寄ってこない。甘美な誘惑を知らない。そんな非モテの不倫未体験者が不倫をけしからんと言うのは惨めなことです。不倫をどう見るかそれぞれの勝手ですが個人的にはそんな風に思っています。
多目的トイレでコトにおよんだ芸人がいましたが男とはそういうものです。もしあなたが男で、かたわらに乗り気な女がいて、目の前に多目的トイレがあって、とくに誰かに見られる心配もなくて、それでもおれはそんなことはしないと言うのだったら、そりゃあたいしたものですが、ただしこの芸人は「男とはそんなもの」と知っているきれいな女と結婚する甲斐性をもっていました。雲泥の差だと思います。
話が逸れましたが早春は浮気をあつかってはいるものの、それは枝葉になっていて、最終的にはしっかり前を向いて生きようとする夫婦像をおしだして、正しい世道を説きます。同時に正子の母を演じた浦辺粂子に『女は三界に家無し』という台詞を言わせて、銃後女性の辛労にも配慮しています。
淡島千景は、いつも毅然としていて、さっさと家を出て行く鉄火なところもあるので、話の見た目はさっぱりしています。これを田中絹代が演じていたら、可哀想で仕方ない──ということになりますが、淡島千景なのでほとんど憐憫を感じません。さらに岸恵子が裏表のないお嬢様なので、まったく悪意を感じません。暗い池部良ですが、ふたりの明るい美人のおかげで、こんな爽やかな不倫映画があるんだろうか、というくらい爽やかな不倫映画になっていると思いました。
imdb7.7、RottenTomatoes100%と88%。
女は三界に家無しとは──
『《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。』