津次郎

映画の感想+ブログ

ホラーじゃなかったら困る 死刑にいたる病 (2022年製作の映画)

死刑にいたる病

2.3

犯罪者の発言を庶民が見たり聞いたり読んだりすることがある。

ドキュメンタリーや裁判記録や事件記事などに記されているのを見てしまうからだが、なぜ彼らの言い分を見聞きしなきゃならないのか──と思う。

庶民は世に意見を公表できるだろうか。誰かに気持ちを知ってもらえるだろうか。

妙な例えだが、わたしはここにレビューを何百と書いている。もちろん好きで勝手にやっている些末事だが、読まれたほうがいいにちがいない。が、ポピュラリティもいいねもみじめなものだ。変な比較だったが要するに非犯罪者の声があがってこれないのに犯罪者の声は拾ってもらえる──という事象にたいする素朴な疑問を述べている。

個人的な考えではコロしたい願望というものは興味深い研究対象などではない。もちろん犯罪論考とはヒトラーのわが闘争を読むような反面学習に依拠するのはわかる。しかし普通に考えて何人もコロすやつに参考になる思考があると思いますか?ただのき○がいですよそんなの。哲学なんぞ誰が聞くかたわけ。シねばいいんですよ。生きていなくていいやつが生きているだけのことですよ。

そんな人の耗弱を慮り(おもんぱかり)、何年も周密な裁判を繰り返し、現代の病弊のようなアイコンにたてまつり、獄中の感懐を拝聴して世に垂れ流し・・・、真面目に生きている人間が何かを語るチャンスがないのに比べて、なんで何人もコロしたり犯したり傷つけたりした奴がその人となりを観察され披露されるのか。単純にアンフェアなわけである。
なにもかもはしょってとっととシけいにしちまえよ。・・・。

法や秩序に拠ってそうはいかないのは充分解っている。
ただ、凶悪犯罪者が控訴したり、弁護人が心神喪失を主張したり、当人がやっていませんとか覚えていませんとか答弁したとき──きょうび茶飯事と化した悪あがきに感じる理不尽を言ってみただけです。法律が犯罪者に手厚すぎて気持ち悪いならば法律が間違っているんだ。と思います。

──

未成年をいたぶる設定や描写があるのが不謹慎。
どこの国のどんなレートの映画でもいいが、未成年(と設定された人)に拷問をくわえている描写があるか。たぶん絶対にない。(筋書きにあってもそれを直描写はしない。)

残酷を提供するつもりで無邪気に未成年の拷問描写がでてくるのが脳天気。脳天気でなければ時代錯誤。監督はいまもっとも精力的に活躍している人なので、つくりに日本映画の限界を感じた。PG12とか言っているけど輸出は無理だろう。

そもそもホラー(寄りのサスペンス)を社会派風に描いているのがアウト。13金で襲いかかってくるジェイソンに情状酌量の余地を探しているみたいな。なぜわれわれはなにがなんでも加害者の気持ちを酌もうとするのか。

映画としてはなんとなく社会派なムードでもっていって監督としての箔付けにしようとしているのがしゃくにさわった。ホラーなんだからホラーに落とさなきゃ卑怯だろうが。

被虐待児だったら殺人鬼や歪んだ大人になってしまうわけじゃない。わかってつけられたものだとは思うが死刑にいたる病とはじっさいは病じゃない。100%犯したやつの責任だろうが。