津次郎

映画の感想+ブログ

映画監督エヴァロンゴリア フレーミングホット!チートス物語 (2023年製作の映画)

フレーミングホット!チートス物語

4.0

エヴァ・ロンゴリアといえばラテンのアイコン的女優かつ成功したメキシコ系代表みたいな人だ。

TVシリーズやショートで監督業の経験があるが(長編)映画はこれが初めてだそうだ。

何度か言っていて、なんなら俳優が監督をやっている映画のたびに言っていることだが、あちらの国では俳優がまともな映画監督になる。

これは日本ではないことなので個人的にはそこに業界構造の差を感じる。

日本の映画業界にいる人は海外で俳優が監督をやった時にいい映画をつくるのはなぜか──という疑問を持つことがあるだろうか。

日本では本業監督すらいい映画をつくれないにのに、あっちでは俳優が監督へ回っていい映画をつくってしまう。

それには理由があるにちがいない。

──

辛いチートスの発案者の自伝を映画化している。
底辺からスナック菓子大手フリトレーのマーケティング部長にのぼりつめた男の話。

ジェニファーロレンスが絞りモップの発案者を演じたJoy(2015)というのがあったが、あれに似て苦労の末に名利を得る熱いドラマだった。

主人公の来歴はロンゴリアの出自に重なるところがあった。

『テキサス州コーパスクリスティにて、メキシコ系の両親のもとに生まれる。3人の姉がおり、農場を経営する一家は比較的貧しい環境で育った。 14歳の頃からファストフード店のウェンディーズで6年間アルバイトをした。』
(ウィキペディア「エヴァ・ロンゴリア」より)

だからロンゴリアが自分の経歴と似たこの話を初監督作に選んだのは理解できる。

俳優がつくったまともな映画を見たとき、俳優がいい映画をつくれるのはなぜか──への解答として「動機」を思う。

日本では俳優は顔面に立脚している。クリエイターの下地をもちにくい。それに比べ海外では野望があって映画へ入ってくる。なにかつくりたいものがある。動機をもって映画にたずさわる。

自分のつくりたい映画の資金や人脈や経験値が集積されるまで俳優をやって、貯まったら念願の映画をつくる。──そのように考えると、俳優がいい映画監督になるのはむしろ順当な経路だ。

そのようにしてイーストウッドはミリオンダラーやグラントリノをつくった。レッドフォードは普通の人々やリバーランズスルーイットをつくった。ポールニューマンはガラスの動物園をつくった。コスナーはDances with Wolvesをつくった。ショーンペンはIndian Runnerをつくった。クルーニーはグッドナイト&グッドラックをつくった。ポールダノはワイルドダライフをつくったし、ジョエルエドガートンはBoy Erasedをつくった。ベンスティラーはLIF!をつくった。ベンアフレックはゴーンベイビーゴーンをつくった。グレタガーウィグはレディバードをつくった。ナディーンラバキーは存在のない子供たちをつくった。・・・。
エヴァロンゴリアはこれをつくった。

野望を完遂するためにかりそめの俳優業をやっていたのであって俳優なのにいい映画をつくったとみるより俳優を経由したからいい映画監督になったとみるほうが合理なのだろう。かれらには映画をやる動機があった。

なお主人公がフラミンホットチートスの発明者であるという主張には争議があるらしい。