津次郎

映画の感想+ブログ

夏、至るころ(2020年製作の映画)

夏、至るころ [DVD]

1.0
海外では、俳優が監督業へまわると、いいしごとをする。
がんらい、映画をつくりたいと思っているひとが、俳優として業界へ入ってきたのなら、彼/彼女が、まっとうな監督になるのは順当なことだ。

イーストウッド、ニューマン、ベイティ、レッドフォード、ケビンコスナー、ショーンペン、ベンアフレック、ポールダノ、ジョエルエドガートン・・・。検索すれば俳優→監督や、俳優+監督は、大勢出てくるだろう。

かれらの監督業には余技の気配がない。プロフィールに、アクターとディレクターを並列できる。アクトレスでも、ガーウィグ、ラバキ、ジョディフォスター、アンジェリーナジョリー、先般ネットフリックスで見た楽しい青春映画ブックスマートの監督はオリヴィアワイルドだった。ソフィアコッポラ、キャスリンビグロー等は監督比重が高くなった元女優といえる。

なにが言いたいのかというと、海外では、俳優だからといって、クオリティが容赦されたり、俳優であることが免罪符になるってことが、ない。
海外では、というより、今の世のなかで、プロダクトの品質が「誰某がつくったから、まあ許してやるか」という、大人の事情or予定調和がまかり通るのは、ザ日本映画だけではなかろうか。

ただし、ザ日本映画では、そもそも監督専門職でさえ、演出のイロハも知らずに映画を撮ってしまうという現実があるので、ポピュラリティの高い女優が撮った映画が「かわいい孫がつくった」みたいな、迎合的世評で覆われるのは、致し方ないところ──だと思われる。

けっきょく、つたなくて見られない本作も、日本の状況に照合すると、池田さんが撮った映画を、海外の俳優+監督の偉人たちと比較するのは、ばからしくなり、むしろ、なにをムキになって酷評してるんですか、池田さんが新型コロナウィルス禍下にもめげず頑張ってつくった映画を、温かい眼で見てやりなさいよ──という気分になってくるわけである。

そして、日本のプロダクトの多くが「なにをムキになって酷評してるんですか」という脱力感によって、酷評から免れていることに、今更ながら気づく。わけである。
(よく感じることだが、酷評ばかりしている(わたしのような)人/レビューって、第三者から見るとけっこうバカっぽい。駄作にたいしても寛容な姿勢が、理知に見える──わけである。)

のんがつくったおちをつけなんせも見られたものではなかったが、のんだからまあいいのでは──の気配を形成していた。では21世紀の女の子はどうだろう?21世紀の女の子は、若手女性監督を集めたオムニバス映画である。いったい彼女たちは、どんな優位性によって、そのクオリティが容赦される──と考えたのだろう?ひょっとしたら、若くて、女だってことだろうか?

池田さんがつくった映画だということに無類の価値が生じている。それがとても日本的だと思った。演出がすごくクサい。田舎のお百姓さんが農作業の合間につくった映画。(わたし自身が田舎のお百姓なのでこれは職業差別にはなりません。)
ザ日本映画ぜんたいに言えるけれど、いったい、いつのどこで生きている人が撮っているんだろう?0点。

 

おちをつけなんせ

21世紀の女の子