津次郎

映画の感想+ブログ

速い浜 オールド (2021年製作の映画)

オールド(字幕版)

3.0
シャマラン監督の動機は「面白い映画をつくること」で間違いない。
できは玉石(まちまち)だが、つねに新しいアイデアに挑戦している。

妙に聞こえるかもしれないが日本に「面白い映画をつくること」を動機としている監督がいるだろうか?

映画監督なんだからそれが普通──とお思いになるかもしれないが、個人的に日本の映画監督が面白い映画をつくろうとしている──とは感じない。(そう感じる監督は少ない。)

それより功名心を感じる。「面白い映画をつくる」より「巨匠として人々から崇められたい」に──強い動機を感じる。

けっきょく品質が低いので「巨匠として人々から崇められ」はしないが、すくなくとも現場や業界では、天才肌のアーティストとして振る舞っているのは間違いない。

さいきん告発されはじめた日本の映画監督のセクハラやパワハラ(榊英雄/園子温/河瀬直美など)は、現場でアーティストとして采配をふるっているからこそ起こるわけであって、かれらが分限をわきまえているならセクハラもパワハラもおこりはしない。

日本映画がけなされる原因はそこにある。と思う。

映画づくりがヘタとか才能が見えないことに怒りはおぼえない。しかしヘタなのに、才能が見えないのに、映画がアーティスティックなおごりをもっていると、腹がたつ。すくなくとも自分はそうだ。

日本にはカメ止めのような「面白い映画をつくる」という動機のもとにつくられた映画が少ない。
対して未成熟な「アーティスト」がアーティスト的気取りでじぶんの世界を映画にしてみた──という感じの映画は多い。

オムニバス映画「21世紀の女の子」はいまの日本映画を象徴していると思う。その特長は虚像と低品質。(21世紀を標榜しつつそこにあったのは日活ロマンポルノのようなアナクロニズムだった。)
押し出しの強さにつねに反比例してしまうアマチュアクオリティ。──日本映画の特長と言っていいと思う。

シャマランの動機がわかるので、映画がコケていても腹が立たない。それはスペシャルアクターズやポプラン(未見)がコケていても腹が立たないのとおなじ。つまらないと腐すことはあったとしても観衆を面白がらせようとしている製作動機は先鋭的な怒りの対象にはなりにくい。

今回のシャマランは・・・。序盤はわくわくさせた。──なにが起こるのだろう──と思わせた。が、時間経過がとても速い──のが解ってしまうと、躍動は削がれる。それなりに楽しいが、なんとなくこぢんまりとまとまってしまった映画だった。と思う。痩身なモデル体型の女が身体が折れて変形したままで固着するのはとてもいびつなイメージだったが、なんかむしろ滑稽でもあった。

ところでThomasin McKenzieには役の中に収まりきれない気配があった。
浜辺は成長が速いから娘の一時期がMcKenzieなわけだけど、どちらかといえばオフカラー(マット系)の俳優群のなかの光沢系ゆえに、彼女が演じた一時期だけが突出してしまっているような印象があった。The Power of the Dog(2021)での彼女なんか、ほとんど端役扱いだったのに、なんか気になった。やはり大物俳優だと思った。

AppleTV+でシャマランが関わっているドラマ「サーヴァント ターナー家の子守」が見られる。すっきりしない話だったが個人的には楽しんだ。子守役Nell Tiger Freeに惹かれた。