津次郎

映画の感想+ブログ

海外進出する蛮勇気 プリズナーズ・オブ・ゴーストランド (2021年製作の映画)

プリズナーズ・オブ・ゴーストランド(字幕版)

1.0
レペゼンが世界を獲ると野望をかかげてたちあげたCandy Foxxですが、そのプロモーションビデオには日本の風物があざとく流用されています。

筒井康隆の「色眼鏡の狂詩曲」(1968年に書かれた短篇小説)では、(アメリカから見た)日本には、サムライ、ゲイシャ、全学連、しか居なくて、それらが、阿鼻叫喚しながら、ハラキリやら、スモウをとっています。

Candy Foxxが、日本人であるじぶんたちをアピールするのにさむらいや寿司やヤクザやわさびや「ごしごし」を使うのは、良いか悪いかは知りませんが、すくなくとも短絡的な発想です。浅はかです。

色眼鏡の狂詩曲はアメリカの17歳の少年が日本を描いた小説を翻訳した──という設定です。日本人がじぶんのステイタスを、何も知らないアメリカの少年のように伝えるのは滑稽です。現代(2022)ならばなおさらです。そっちょくに言ってあほだと思います。

サムライは日本人の気持ちを反映していません。わたしにはサムライの精神がありません。あなたにはありますか?侘び・寂びやゲイシャやハラキリはどうですか?わたしは宗教も政治信念もない、たんなる消費者です。のんきな消費生活を過ごしている一般庶民が、じぶんのなかにサムライとかカミカゼとかの大和魂があるとのたまうのはイタい勘違いです。ないですよそんなもの。

同様にクリエイターがサムライ・ニンジャ・ゲイシャ・キモノなどなどを、日本人であるじぶんを表現するために持ち出すのは、とてつもなく青い表現手段──だと思います。
だってアメリカ人が星条旗振りながらカウボーイのいでたちで出てくるようなもんですよ。イギリス人がモフモフの近衛帽でロンドン橋落ちると歌いながら出てくるようなもんですよ。エジプト人がツタンカーメンのお面をかぶって横歩き(walk like an egyptian)するようなもんですよ。

よくもそんなことができるもんだ。サムライは、われわれの生活、あるいはわたしたちの血と、なんの関係がありますか?

がんらい、この人の映画を面白いと思ったことはありません。ところが、日本の業界はゴリゴリに園子温を推してきました。日本を代表する映画監督である──と宣ってきました。まるで園子温に弱みでもにぎられている──みたいに持ち上げてきました。ふしぎに感じませんでしたか?わたしは不思議でした。

言うまでもなく、この映画の和風味は、外国人にたいする媚びです。和風味に白虎社のような群舞を加えています。いままで、同監督が描いてきたように、大声で狂騒的な動きをする者が「狂気」である──とする退屈な「狂気」的人物たちが、ボロ布を被って、ニコラスケイジの周りで扇情的な動きをします。わめけば伝わる──と信じているかのように、とにかく全員がわめきます。

おそらく、人物や事象が、なにかをシンボライズしていますが、それをわかっているのは監督だけです。東北大震災やヒロシマの気配がありますが、その承認欲求に満ちた、なまじっかなメッセージ性には腹が立ちます。この映画が震災や原爆にたいする思いを含む──としてそれとニコラスケイジの金玉がふっとぶのをどうやって動機付けるのか?という話です。迎合的なスタンスをとる観衆にたいしてもかんぜんに支離滅裂な映画だったはずです。坂口拓の腫れ物みたいな大物扱いも(いつもながら、やたら)変でした。どうでもいいけど坂口拓っていつでもどこでも偉そうだよね。なんだっつーの、こいつ?

大道具も小道具もハリボテ感がはんぱないです。止め続ける時計を中心とするゴーストランドは高校生のアンデパンダンのような手作り感があります。銃や刀や装置はプラスチックのおもちゃのようです。

おそらくこの映画は、手作りの風合いをエクスキューズ(自己弁護材料につかう)するに違いありません。日本のクリエイターがだいすきな根性論評です。それはこんな感じの弁明になるでしょう。

「大道具小道具スタッフとキャストが一丸となって、つくりあげたその終末世界に、おもわず目頭が熱くなった。この映画を批判するオマエらには、徹夜でがんばるかれらに何とか温かい味噌汁をふるまおうとする裏方の苦労とか、ぜったいに解らんだろうなあ。」

頑張ったことが日本では評価点に加味されますが残念ながら本作は海外進出しています。裏方の味噌汁作戦も、海外では通用しません。なぜ日本を代表する映画監督初のハリウッド進出作品が、まったく喧伝されなかったのでしょう?

もちろん理由は映画がコケているから。

もともと園子温のマーケティングの基礎戦略は「海外で大絶賛!」との謳いにありました。じつは「バイヤーが気に入ってくれた」ていどの徒事を「海外で大絶賛!」と語彙を変換して喧伝するのが園子温の戦略=武器だったわけ。

外国人を起用し、ほんとに海外進出したばあい、日本贔屓のバイヤーが見るわけじゃないから、とうぜん「海外で大絶賛!」が使えません。

その果敢な挑戦は賞賛に値します。わたしも人様がいっしょうけんめいつくった映画をけなしながら、よく思います──じゃあオマエはなにができるんだ。と。だけど園子温は日本を代表する映画監督ですと公言されていたのですよ。まがりなりにも。てことは風呂場で屍体解体して肉団子つくる描写を最大の持ち味とした映画監督を、日本を代表する映画監督だと信じちゃった純情な庶民がいたはず。なわけ。

ところが全世界が待ち望んできたこれ、IMDB4.2。

映画における絶対の真価はできるだけ多くの評価点の集約です。がんらい持ってないのに太鼓持ちのマスコミと海外で大絶賛!戦術に支えられてきた人の到達点だと思います。その到達点とは「強い心臓」です。なにしろこの映画、サンダンスに出品されています。

2021のサンダンス。史上初の4冠、史上最高額の落札「coda」の年でした。

園子温だけじゃない。天才だの鬼才だのと宣伝している方々。そんなの日本映画界だけだぞ。恥ずかしくないですか。一般社会で天才ではない人間が天才だと喧伝したらどうなると思います?ないのに、あるって宣ったらどうなります?

映画が下手なのは、かまいません。くどくどと何十年も具陳しているのはそこじゃない。言っているのは、下手なら気取るなよ。ってこと。ずっと俺様でいけるわけないよね。
そもそも日本映画が地に落ちているのに、天才と鬼才が揃っている日本映画界って、いったいどういう次元/空間なの?

なにが日本を代表する映画監督だよ。ふ・ざ・け・ん・な。──という話。てなわけで、けなしましたし0点ですがしっかり有料で見たのでこの映画の勝ちです。おつかれさまでした俺。