津次郎

映画の感想+ブログ

40年後に有名になった口笛 ツイステッド・ナーブ 密室の恐怖実験 (1968年製作の映画)

ツイステッド・ナーブ 密室の恐怖実験 [DVD]

3.5
スティーヴマックイーンは認識が変わる。さいしょは大脱走の俳優で、さいきんは12 Years a Slaveの監督の名になった。ただわたしにはその間にもう一人というかもうひとつ、プリファブ・スプラウトの1985年のセカンドアルバム「Steve McQueen 」がある。

Goodbye Lucille 1 /Johnny Johnnyという曲が収録されている。アルバムは同バントの最高作とされているがJohnny Johnnyはそのなかでも、もっともエモーショナルなバラードだった。いまでもイントロのギターリフだけで泣ける。

その歌詞にStill in love Hayley Millsという一節がある。

ヘイリーミルズはイギリスの有名な元子役でポリアンナを演じたことで国民的知名度を得た。
逆境にめげない明るい少女の物語で、日本では昔のアニメーション「愛少女ポリアンナ物語」によって知られている──と思う。

ポリアンナは「うれしい探し」Glad Gameを日課としていた。
『嬉しいと思えることを、知らず知らず探すのよ、そしたらたいていといっていいぐらい、嬉しいと思えるものが、どんなことにも何かしら見つかるものよ。あきらめずにじっくりと探してみればね』

ポリアンナにもアンにもハイジにもセーラにもキャンディにも、あらゆる少年少女物語の基調に明るい面を見よう──という普遍がある。
ヘイリーミルズが有名だったのはどんなときも明るくけなげな子役としてだった。

今も女優だが、子役としての印象が強いひとほど、成長とともに独自性が失われる。
現代は子役からの俳優が多くなり、そのジンクスはなくなったが昔はそうだった。
日本人からするとおしんの小林綾子のようなひとだ。
人々の記憶のなかには少女の彼女しかいない。

それを考えるとStill in love Hayley Mills「まだヘイリーミルズが好きだった」は「なおも子供のように純真だった」と意訳できる。
イギリス人にとって国民的子役のHayley Millsは純真の代替語だと思うからだ。

この映画のミルズはすでに少女期を過ぎようとしていて、子役からの脱皮を模索していた。もともと、それが主眼の映画だった──と思う。

わたしはこの映画を、製作年の1968年から約20年後の80年代の後半にレンタルビデオのVHSで観た。そこからまた約20年後にタランティーノ監督が映画中の口笛を取り上げた。口笛にスポットが当たって「発掘」されたものの、とりわけカルト扱いされたわけでもない。地味な映画だった。

だが映画は、おそらく子役を脱しようとしていたミルズの勝負作だった。だから、ややエロチックな表現や、歪んだ愛憎の描写があるのだろう。そもそもTwisted Nerveである。いずれもソフトなものだが、大人への脱皮を手助けする映画がつくられるほどヘイリーミルズは国民的だった。
すなわち、謂わばアイドルから大人へ脱皮をさせようと画策された薬師丸ひろ子の探偵物語のようなものだった。──と思う。

見た当時、わたしは、バーナードハーマンのスコアも、その口笛もまったく関知しなかった。
タランティーノ監督がキルビルで取り沙汰したとき、そういや耳に残っていたんだよなあ──とかぬかす輩が現われたが、嘘こけと思った。

レンタルVHS濫造の時代で、タイトルが「密室の恐怖実験」、製作年度1968年である。パッケージにエロい誘惑があるわけでもなかった。どこのレンタルビデオ屋でも埃をかぶった不動在庫だったはずである。

あの時代とてもマイナーな映画がVHSビデオ化されていたのが特徴的だった。海外の映画紹介動画で、日本語字幕が付いたVHSがソースとして使われているのをしばしば見る。つまりアメリカ人が自国の映画を日本語字幕付VHSのなかから掘り出すという構図があった。当時、今思えば「なぜこんなB級ホラーを」と思えるニッチな映画が無数にVHS化されていた。

ほとんどがしょうもない映画だった。ただあるとき、それらから「密室の恐怖実験」という、やはりしょうもなさそうなタイトルを付けられてしまった映画を手にとって見たら、しっかりした映画だった──それだけの話だが、小市民のわたしにとって、それはけっこう重大な収穫だった。

内容はほとんど忘れたが、口笛をふくのは犯罪性向がありながら知的障害を装っている男。かれは白痴=純真を装っているゆえに、ミルズに性的興味を持たないかのように振る舞いつつ、ミルズに顕れる「女」に取り入ろうとする。仄かだけれど確かなエロティシズムがあった。

なんとなく、完全になんとなくだが、ミルズのマネージャーは、ほんとは彼女をヒッチコックにアテンドしたかったのではないだろうか。おぼろげながらそのアピールが感じられる映画だった。

「しかしねえヘイリー、彼奴は無類の美女好きなんだよ、きみも知ってるだろ」
きっとマネージャーとそんな会話があった──ような気がした。低迷の冷評下にあった名匠が本国へ帰還してフレンジーを撮ったのは4年後だった。