津次郎

映画の感想+ブログ

三国志風厨二病歴史絵巻戦闘編 キングダム (2019年製作の映画)

1.5
中国の衣装を着けた日本人が日本現代口語をつかって演じる剣劇である。それがいけないとは思わないし、そのことが違和感になっているのではない。この映画の違和感は、お話が幼いことに因っている。これがマンガなら問題はない。原作のことはぜんぜん知らないが、絵の迫力や親しみに依存するマンガはコンセプトに動機を問われない。

ただし映画となれば、そこはまず中国である。彼らは奴隷である。奴隷が王座へ登ろうとするなら、どうすればいいか。──というところから始まる。山盛りの薪を背負って、棒を振り回していれば覇者になれるんだろうか。因みに中原の面積は日本の25倍である。

が、少年が奴隷は一生奴隷だけど剣で運命を切り拓くんだと説明的な台詞を言うので筋書きを察した。冒頭で思い描いた筋書きが僅かでもズレることはない。物語は稚拙で、台詞は直情的である。

軍に徴用された漂が倒れ込んできて、いきなり愁嘆場に入る。人が死んだときのもっともプリミティブな演出法で信が漂おおおと叫ぶのが鬱陶しかったが、そこから愁嘆場の波状攻撃になる。次に叫ぶのが漂が王の身代わりに殺されたことを分かったとき。台詞が物語の進行も兼ねていた。刺客にぶっころしてやるうと叫び、漂は生き返らねえんだよおと叫び、いちいち愁嘆の見栄切りをする。野性味溢れるキャラクターを表現しようとしているんだろう──と解した。
そこへ貂が現れ道案内する。道々、筋書きの説明をするが、また信が愁嘆を始める。貂はかわいいを担当するキャラクターであろうと思われる。

長い原作なのだろうと思われる。映画は駆け足と言うよりワープ航法で進んでゆく。航法を補助するのが来歴や状況説明型の台詞。コメディで「いまのがなんで面白いのかって言うとね」の解説が付いている感じである。史劇を見ているつもりでいると、山崎賢人や橋本環奈が現代口語の銀魂風の掛け合いをする。そのちぐはぐ感を乗り越えることが出来ない。着衣に経年がなく、鎧がプラスチックにしか見えない。乱戦になると、見せどころだとは解るが、セリフ中には襲われない。個人的には始まって直ぐ王騎の入城までワープしてもらっても構わなかった。

誰某の演技が上手いとか下手だとか──そんな領域に達している映画ではなく、近年の時流を反映して、マンガの人気にあやかろうとした映画で、キャストもスタッフも過不足のない仕事をこなしている。需要も満たされたようだ。

ちなみに映画は人気者を一斉に登場させ、そのことに殆どの価値を依存させているが、もし彼らを全員無名と見なして吟味するならこんな大味なジュブナイルをつくるのは開発途上国くらいなもんだと思う。

もしマンガの原作者が三国志風のキャラクターの躍動的な戦闘シーンを描きたいという初動目的を持っていたばあい、総てはそこへ至らしめるための、穴埋めエレメントである。一介の奴隷少年がのし上がる話に根拠ある筋書きなんてものは要らない。いろんな人物を散りばめ、劇的な決めセリフを叫ばせて、戦わせておけばマンガなら成立する。──本作は映画でそれをやっている──という話。

気になった点というか、気にならなかった点はなかったです。全年齢Gだが15歳以下なら楽しめます。皮肉でも嘲笑でもなく、まさしく子供向け映画でした。